学区の歴史街の歴史


この学区の地域は、昭和初期までは海であり、藤田伝三郎翁の計画による児島湾干拓(第3区・5区)によりできた土地です。

昭和25年に岡山市に編入され、並木町二丁目・築港新町・築港緑町などの新しい町が誕生しました。あけぼの町は築港新町より昭和30年に分離してできた町です。松浜町はもとは福島。福成の各一部で、昭和38年に現在の町名になりました。昭和52年の住居表示で、築港ひかり町(もとは築港新町・築港栄町の各一部)南輝(もとは浦安本町・福成・浦安東町の各一部)ができました。

昭和30年頃までは、見渡すかぎり葦が鬱蒼と生い茂った原野でしたが、急激に宅地化され、都市基盤の整備と相まって人口も増加してまいりました。

昭和30年に医療施設として岡山労災病院が開院し、昭和48年には南輝小学校が開校し、続いて昭和52年には福南中学校が誕生しました。また、学区の西を南北に都市計画道路州崎・築港栄町線、東を同福成・築港新町線が開通し、これらの近代的な道路の沿線には、大型ストアーが進出し、中小の商店が並び新興住宅地の形成と相まって急速に都市化がすすんでまいりました。

前のページへ戻る