第1章 中島地区の生い立ち



 私達が、今住んでいるこのまち中島地区には、一体いつ頃から人々が住みつくようになったのでしょう。

 周辺の原尾島・沢田等では、日本で稲作が始まった縄文時代晩期(B.C.800年頃)から、弥生時代前期(B.C.500年頃)には、すでに人々が集落を作って生活していた跡が確認されています。

 ところが、その頃まだ当中島地区は、幾筋にも分かれて流れる旭川の真ん中にあって、アシが一面に茂る中洲であったと考えられています。当時の旭川は、中国山地から一気に流れ下り、岡山平野にさしかかって急に幾筋にも枝分かれして児島湾へと注ぎ込んでいました。この中島あたりは、ちょうどその分流点近くにあって、増水の度に洪水となり、とても人々が住めるような環境ではなかったと考えられます。

 従って、この地域に人々の定住が始まるのは、ずっと時代が下がって人の力で治水が行われるようになってからと考えるのが順当です。それは、旭川河畔に備前国府がおかれ、賞田寺や成光寺が次々と建立されて、人々の往来が盛んになりだす頃、すなわち平安時代後期(12世紀)頃からと考えるべきでしょう。

 この中島地区の歴史は、ようやくその頃から刻まれ始めるのです。