なかい列伝  中井は気候風土に恵まれたことに加え、先人たちの努力により、歴史書に名を残す名士を輩出しています。この先人の足跡に学び、後世に引き継いでいきたいと思います。
中西安太郎 なかにし やすたろう 
1853・6〜1932・2・19(嘉永6年〜昭和7年)

 彫刻家 中西安太郎君(高島村)

中西安太郎君
 同家は二百餘年連綿たる家系を有する地方稀に見る舊家にして、先代を長次郎と呼ぶ。君は其の男にして嘉永六年六月の生誕、頭脳明晰緻密幼にして群童を抜き、加ふるに藝術的天才を有し特に彫刻の技に秀でたり。十七歳の頃田淵勝義師の門を叩きて入門し技術を研究、手腕大いに精達技神に入る。其後岡山市上之町祭山車を刻みて卓越せる技倆を認められ、其他市内數ケ所の依頼を受け祭山車を物し愈々廣く名聲を博せり。後年に及びては數年前改築になる高島神社本殿、一々昨年竣工を見し同社拜殿は君の全力を傾注せし作たり。尚君は稀に見る考古學研究者として恰く人の知る所にして、近隣に於ける舊跡の考證は君のカに待つ所尠からず。又考古學談話会員なり。尚長男猿次君は岡山縣立病院に奉職十八年勤続事務長に昇進、其後岡山縣醫師会、正織株式会社倉敷工場、岡山市醫師会産婆看護婦養成所監事等に轉職し、目下岡山縣醫師会健康保険部に勤務せり。

昭和7年12月1日発行『上道郡案内誌』より