『生きる』ことから逃げないで
                            樋口享子


 岡山市中井下東組の樋口享子さん(35)から、「中井町内ニュース第16号」(平成19年2月発行)へ投稿がありましたので、ご紹介します。

『生きる』ことから逃げないで

 昨年は、『自殺』という文字を頻繁に見聞きした年でした。

 『生きる』という事を諦めてしまう人の多さに、私はひどく落胆しています。何故『死ぬ』という事で楽土を求めようとするのでしょう……。

 命あるものは全て『生きる』ために生まれてきたのです。『死ぬ』ためではありません。なのに何故、他に『生きる』道を探してくれなかったのだろうかと、私は残念で悲しくてなりません。

 特に、最近の『いじめ』による自殺は半端な数ではありません。連鎖のように、「そうか、死ねば楽になれるんだ」と言わんばかりに命を絶ってしまう……。 違う、違う! 死んだって楽になったりしない!!

 例えば、今日やり残した仕事や宿題が、明日になれば綺麗さっぱり消えて無くなっている事なんてありません。結局、続きからやらなくてはなりません。寝て起きたら、全く別の自分になっている事なんて無いですよね?やっぱり昨日の続きなのです。

 人の一生も然り。「もう、嫌だ! 」と、死んでその苦しみから一時的に逃れたとしても、生まれ変われば、また、同じような人生が待っています。今、ここでクリアしておかなければ、新しい『次』は始まらないのです。私は、そう思っています。

 頑張る事は、とても素晴らしい事です。でも、何が何でも『その場所』で頑張り続ける必要は無いのです。職場でも学校でも、「もう、これ以上頑張れない」というところまで来てしまったのなら、場所を変えてもいいじゃないですか。命を張ってまで『その場所』へ通い続ける必要は無いのです。

 『その場所』から逃げる事はいいです。でも、『生きる』事からは決して逃げないで欲しいです。それは、何の解決にもならないのだから。

 ゲームのように『命』は何度もリセットできないのです。死んでしまったら、それで終わりです。また、同じ自分として、全く違う人生を歩んだりできないのです。だからこそ、今の自分としての人生を大切にして欲しいです。

 「生きたい、生きたい」と切に願っても、それを許されない命が沢山あり、それでも必死に生きようとしている命がこの世には沢山ある事を知り、生きている事の有り難さを知って欲しい。そして、自分の命も、他人の命も、尊ぶ事のできる人が増えてくれる事を、私は、切に願います。

 自分も、他人も、大切にできれば、いじめる事なんてできないはずです。『生きる』事から逃げないでいれば、きっと別の『生きる』道が見えてくるはずです。しっかりと自分の人生を生き抜いて欲しいです。

 この度、私が、亡き次女の一生を書籍にしたのは、『命』の大切さを訴えるためでもあります。生きたくても生きられなかった命、定められたわずかな一生を力の限り生きた命がある事を知って欲しい。そして、今、生きている人々は、生きている事が素晴らしく幸せな事なんだと気付いて欲しいです。元気な人ならなお更です。朝起きて「おはよう! 」って言える事は、決して当たり前の事では無いのです。今、生きている自分の人生を、楽しく・素晴らしいものにして、力一杯生き抜いて欲しい、私の、次女がそうであったように……。

 この紙面に、私のような者から意見を述べさせていただいてよいものか……と躊躇しましたが、投稿の良い機会を与えていただいたと思い、『命』について、私の思うところをほんの少し述べさせていただきました。

 ありがとうございました。
 

 最後に、これは宣伝になってしまいますが、昨年の10月に日本文学館という出版社から『CIRCULATION〜天使といた11ヶ月〜』という本を出版しました。次女の、生まれてから天国へ旅立つまで、そしてその後に、子供を授かるまでを、記述しています。
 私の手元に、5冊ありますので、ご希望の方はご連絡ください。『命』について考えていただけるきっかけになれば、大変うれしく思います。


 樋口享子さんが、難病のため11カ月で生涯を閉じた二女鈴心(りんご)ちゃんとの思い出や闘病生活つづった手記『CIRCULATION〜天使といた11ヶ月〜』は、多方面で反響を呼び、新聞やサイトでも紹介されました。

【関連記事並びにサイト】
○2006年(平成18年)10月18日、HPおおもったんの部屋>てすさび日誌〜天使といた11ケ月〜
2006年(平成18年)11月05日付山陽新聞朝刊
2006年(平成18年)11月16日付山陽新聞朝刊
○2007年(平成19年)02月20日、HPおおもったんの部屋>ブログてすさび日誌、『生きる』ことから逃げないで