人物往来 本文へジャンプ
 第2回には水原さんに登場していただきました。

 いつもこのホームページの為にとてもたくさんの行事に参加して、写真と記事を送ってくださいます。そのフットワークの軽さを普段から尊敬のまなざしで拝見しています。
 今回水原さんのお答えを見て、何が水原さんを突き動かしているのか、少しだけ想像できた気がします。
つらい人生を送ってきても、人の未来を信じ、毎朝家族の元気な顔を見ることで幸せを感じることが出来るなんて、素晴らしいことだと思います

感想、ご意見等がありましたらホームページのメール箱のほうにお願いします。


広い世界の他の場所ではなく
あなたは今、なぜここにいるのですか?
御野学区連合町内会の中にお住まいの人々が、自分の周りにどんな人たちが住んでいらっしゃるかどれだけご存知でしょうか? 電子町内会はこの地域の皆様の絆がより強くなることを願ってこの「人物往来」を再度取り上げることに決めました。  平成25年12月吉日
水原美津夫さん   津島東在住 
                             平成14年1月掲載       



Q1 出身地は?

A 1  岡山県笠岡市


Q2 ここ以外に今までどんな町に住んだことがありますか?

A2  .大阪市此花区高見町      昭和18年5月まで

広島県尾道市          昭和18年5月〜19年5月まで

岡山県笠岡市入江       昭和35年1月まで


Q3 御野学区に住んでどのような感想をお持ちですか?

この町に希望したいことがありましたらお願いします。

A3  この地域の善し悪しはさておき、私が岡山へ来た経緯を全く間違えて捉えられて人権蹂躙された中で生きてきた道筋を今さらどうすることも出来ないし、恨み辛みはありませんが、回復すべく懸命にいきています。御野学区についてモノ申すのはそれが叶った後のことです。  


Q4 趣味は何ですか?

A4  海釣りとか写真とか旅行など趣味に出来たらと望みながら入口で足踏みしてます。


Q5 生きがいは何ですか?

A5  簡単に表現出来ないほど困難な境涯を生きて来たので、自身の生きがいなどは意識せずに、人間はもっと良い世の中を創れる生き物だとみんなが目覚めて分け隔てなく交われる社会にするには、どうすればと考えそのなかで自分は何ができるかに挑戦するのが生きがいといえば生きがいです。(笑って下さい)


Q6 差し支えなければ、どのような職業についてこられましたか?

A6 高3の5月に結核になり、間もなく同病の母を亡くし絶望の5年の後生還して、家庭環境から土方、行商(その間、嬉しいことに支援・救援の手は差し延べてくれましたが、声援以外はすべて断ってそれでも何とか手ごたえのある生きざまをしていましたが)などで生計を立てながら

地域活動に励んでいる最中に姉の事件のため、たっての依頼で岡山に来て何の知識も技術ももないまま食堂を営む羽目になり現在に至っています。

  

Q7 もし可能なら、どんな職業に就きたかったですか?

   A7  笠高「珠算簿記部」で先輩と共に頑張っていたので、先輩にな     らって商社・役所・銀行勤務(出来たかどうだか)  


Q8 差し支えない範囲で、一番楽しかったこと、一番辛かったことを教えてく ださい。 

A8  生きていることは楽しい、親子(今更ですが)3人お早うと眠気声で挨拶を交わしたときかな。 困難なことは数多ありましたが命ある限り辛いなどと贅沢は言わない。


Q9 人生で一番大切だと思うことは何ですか?

A9  何があっても自分を信じること。


Q10 死ぬまでにやっておきたいことを3つあげて下さい。

A10  まず、大阪市高見町の淀川の堤防周辺に行きたい。

     その2、岡山へ急遽来なければならなくなったとき、笠岡駅前の喫茶店で激励の送別会をしてくれた入江青年団の方々にお礼を申し上げたい。

    その3、長谷川病院笠岡分院の先生・看護師・同病仲間に深甚の感謝を伝えたい。