<宿町内会の歩み> |
宿の地名についてー岡山地名事典からー |
岡山市宿、市の北部旭川右岸の農業地帯で、山寄りに古い集落がある。 旧御津郡御野村大字宿。 古代の三野郷に属し、中世になって山陽道が上道郡今在家村から旭川を船で御野郡の 鑵子釣(かんすのつる)に渡すように変わると、この地に宿泊施設をもつ集落ができ、近 世のはじめまで、繁栄した。 山陽道(西国往来)が岡山城下を通るようになってからも舟渡しは継続して「釣の渡し」と よばれ、宿村に渡舟1艘をもっていた。 『吉備温故』に宿村高451石2斗、田畑26町5反4畝20歩半、家数67軒、男女448人をあ げ、三軒屋、小室の2部落が同村に属した。 明治22年6月、宿、三野、北方、南方の4村が合併して御野村を置き、大字宿となる。 大正10年2月、宿だけが分村して牧石村に入る。(他は岡山市に編入) 昭和27年4月1日、岡山市に入る。 |
歴代町内会長と町内会変遷 | ||
会 長 名 | 変 遷 | |
初代 |
岡崎多三郎 光岡 米造 光岡 龍三 光岡 豊二 光岡堅一郎 分島 藤吉 分島 藤吉 分島 富夫 分島 藤吉 分島 藤吉 光岡 毅 光岡 毅 光岡 毅 田原 清美 田原 清美 田原 清美 田原 清美 田原 清美 光岡 正友 光岡 正友 光岡 正友 光岡 正友 光岡 正友 光岡 正友 杉山 篤 杉山 篤 杉山 篤 分島 久志 |
宿南町内会、半田町が宿町内会より 分離独立 宿公会堂建設 旧公会堂解体・返還 東山地区造成 六社宮町内会で管理(63年) 公会堂トイレ改造 |
六社宮由緒 |
六社の宮は六所の宮とも言い、平安時代に国府が全国に置かれ、その近くに六社の 宮が建てられたと言うことです。この付近の国府は、現在の岡山市国府市場です。 又、ここに六社と言う地名があることからしても、昔からあったと思われます。 尚、昭和30年頃倒壊した社殿は、明治29年に日清戦争に参戦された郷土の勇士が 無事凱旋されたことを祝して氏子が建立したもので、その礎石をそのままにして同じ広 さの建物にしました。 (昭和61年3月吉日) |
六社宮祭神 1、天照大神 1、天 神 1、豊受大神 1、産土神 1、神武天皇 1、大国主命 |