御野学区域の用水路
                            

●旭川    

 旭川は岡山県中央部に位置し、備前の「西の大川」と呼ばれていました。
 その源は中国山脈の朝鍋鷲ヶ山(標高1,081m)に発し、途中新庄川・備中川・宇甘川を合流して県の政治・経済・文化の中心である岡山市街地を貫流し、児島湾に注ぐ流域面積1,810km2、幹川流路延長142km、流域平均降水量約1,460mm(平成5年〜平成14年)の河川です。
●西川  
■疏水の所在
岡山市の中心部を北から南へ流れる西川用水

所在地域の概要
水路両脇の散策道、東屋、水路上回廊など、親水公園としての整備が進んでおり、西川緑道公園の別名をとるほど市民からは親しまれている

疏水の概要・特徴
 西川用水は、旭川の合同堰(玉柏地域新大原橋の上流)から水を取り入れ、岡山市街の中心部を流れ下流の農業地域(福田・浦安など)に農業用水を供給する全長16kmに及ぶ農業用の水路です。

 
市街地の中心を流れる西川の水と水辺は、多くの関係者の努力により、美しい景観を生み出し、水に親しみ四季を通じて花や生き物にふれあうことが出来、人々に「うるおい」と「やすらぎ」をもたらす貴重な空間として親しまれています。また、全国有数の農業都市である岡山市の主要な農業地域でのお米作りになくてはならない用水です。
管掛(かんかけ)用水(合同用水)
 管掛用水は、岡山市玉柏(たまがし)・牟佐(むさ)間の管掛堰から取水し、明(妙(みょう))見(けん)山北側で旭川に還流していました。1663年(寛文3年)、御野郡77ケ村の大庄屋金萬(こんま)平次郎(北方村)は、私財を投じて宿(しゅく)堀越(ほりこし)(三野村・宿村間の岩盤)を掘って通水し、座主川(暗渠(あんきょ))の上を通し、三挺樋(さんちょうび)から取水した西川用水(小早川秀秋が作らせたという)に合流させました。

遠藤橋(えどうばし)・幸田(こうだ)ノ樋(ひ)
 座主川にかかっている小石橋で、宇喜多直家の家臣、遠藤河内守喜三郎が造ったところから遠藤(えんどう)と呼ばれ、この遠藤がなまって江道(えどう)橋となったようです。津島保育園近くを通っている座主川には、水車で粉挽きをしていた幸田ノ樋があります。
座主川(ざすがわ)
 座主川は、旭川西岸の灌漑用水路です。岡山市三野の六挺樋(ろくちょうび)から取水し、管掛用水路の下を暗渠(あんきょ)暗渠(トンネル)でくぐり、同市津島、伊福、万成などの耕地、約600ヘクタールを灌漑しています。約650年前に、天台宗金山寺の荘園に水を導くため、天台座主の要請で造られたので、座主川となったといいます。しかし、この川の水位が低いことや、川沿いに古代条里制の遺跡があることから、古い自然流路を改修したものともいえます。
缶子(かんす)の釣(つる)の渡し・駒ケ渕(ふち)
 妙(明)見山の岩が旭川に突出し、その上手(かみて)にできた半円状の河岸が缶子の釣の渡しです。この渡しは、岡山城築城前の旧山陽道の渡し場で、足利尊氏や、羽柴(豊臣)秀吉も、この渡しを通ったと伝えられています。釣の渡しの山側にある大きな穴の近くが駒ケ渕とよばれています。