
| 1183年 義仲の源平合戦 ◆倶利伽羅峠(越中)の合戦 源義仲勝利。平氏負ける。 この時、平氏側の備中の妹尾兼康よく戦ったが、源氏に捕らえられた。 源氏は兼康がすぐれた武士であることを知って、命を助けた。 ◆篠原(石川県)の合戦でも源義仲勝利。平氏負ける。 ◆水島(岡山県倉敷市)の合戦では平氏勝利。義仲軍負ける。義仲は都へ 戻る。 平氏は屋島(香川県)と児島を根拠地として義仲軍を迎え討とうと戦いの 準備。 後白河法皇は都へ戻った義仲に備中へ行き、平氏を討てと命じる。 西へ下る義仲の軍勢に、備前・備中に詳しい妹尾兼康も加えられ、先陣 をつとめる。 ◆義仲、兼康の福隆寺の合戦 源氏に命を助けられた妹尾兼康は義仲のために働くふりをし ながら、再び平氏に加わりたいと思っていた。 兼康の軍勢2千余人は備前国福隆寺(現在の岡山市津島の 妙禅寺あたり)、笹の迫(現在の岡山市笹が瀬)に堀を掘り、 柵をめぐらせて砦を築き、義仲勢を迎え討つことにした。 義仲は船坂峠(備前市三石と兵庫県上郡の境)に陣をはっていた。 義仲に妹尾兼康の裏切りが伝えられる。 義仲は山陽道を三野から半田山(現岡山理科大)を通り、 背後から福隆寺の兼康軍を攻めた。 兼康は板倉(岡山市吉備津板倉)に退き、そこに背水の陣をしき、 自刃する。 1184年 義仲は、後白河法皇が呼び寄せた源頼朝に瀬田(滋賀県) で敗れ、討ち死ぬ。 源頼朝は鎌倉幕府開く。(鎌倉時代) |