地震 過去の地震を知る


 南海・東南海地震が、これから50年以内に80から90%の確率で起きると報告されている。強い地震が起きた時、私達の住む地帯ではどの程度の被害を想定すればいいのか、どの程度の対策をすればいいのか真剣に考え対策を立てる必要がある。
 災害が発生したとき大切な事は、自分自身がどのように対処できるかが、其の後の安全を確保するために大切なことだと思う。
 地震に対しては、以前から事前の対策が必要と言われてきた。例えば、御南学区であれば、地盤がゆるいので、液状化が起こりやすく、このため家を建てる時は、地盤の改善・ベタ基礎の勧め・カンザシ金具の多用・筋交いでの補強。既に住んでいる場合の対策として、公的機関に依頼する防震診断・家具の固定・発生時の対応予行練習等が云われています。各々で、夫々の対策をお考えになっていると思います。
 御南学区で、記録に残る大きな地震は、幾つ位あったのでしょう。
 次に示す表は、web siteから得たもので地震の発生確率です。


次の南海地震の発生確率(地震調査委員会、2008)

10年以内の発生確率

10%程度

30年以内の発生確率

50%程度

50年以内の発生確率

80〜90%

  (2008年1月1日現在として)

地震調査研究推進本部、地震調査委員会報告より抜粋

  過去の記録に残る岡山を襲った大きな地震は、次の表に示す。

西暦(和暦)

地域名又は名称

マグニチュード

868.8.3
(貞観10)

播磨・山城

≧7

1707.10.28
(宝永4)

宝永地震

8.4

1710.10.3
(宝永7)

伯耆・美作

6.5

1854.12.24
(安政1)

安政南海地震

8.4

1927.3.7
(昭和2)

北丹後地震

7.3

1943.9.10
(昭和18)

鳥取地震

7.2

1946.12.21
(昭和21)

南海地震

8.0

1995.1.17
(平成7年)

兵庫県南部地震

7.3

2000.10.6
(平成12年)

鳥取県西部地震

7.3

2001.3.24
(平成13年)

芸予地震

6.7

                 岡山地方気象台 地震・津波の項より抜粋

次に岡山県がweb siteに示している過去の記録も紹介する。マグニチュードと震度の両方の数値が分る。

震度4以上(岡山)の地震表(明治35年以降)

  発生年月日
         
震 度
     
      被        害
                      
  震央地名
 (地震名)  
規模
(M)
 明.38.6.2
   (1905)  
岡山4
     
被害なし
                      
安芸灘
(芸予地震) 
6.7 
   
 明.42.8.14
   (1909)  
岡山4
     
建物その他に若干の被害あり
ただし人的被害なし             
滋賀県北東部
(姉川地震) 
6.8 
   
 明.42.11.10
   (1909)
         

岡山5
     
県南部,特に都窪郡撫川町で被害大
死者2人,建物全・半壊 6戸
ひさし・壁破損 29戸等           

宮崎県北部
        

7.6
   
 昭.2.3.7 
   (1927)  
岡山4
     
県南部で家屋の小破損・屋根瓦の墜落20数件
煉瓦煙突の上部破損(上道郡平井村)     
京都府北部
(北丹後地震) 
7.3
   
 昭.9.1.9 
   (1934)
         

岡山4
     
県南部を中心に強く揺れ吉備郡庭瀬町では壁に亀
裂を生じ土壁が倒壊した程度で県下全般に大きな
被害なし                  

徳島県西部
        

5.6
   
 昭.13.1.2
   (1938)  
岡山3
(新見4)
     
伯備線神代駅近傍で岩石40〜50個落下,貨車・家
屋破損,下熊谷の小貯水池堤防決壊
                      
岡山県北西部

        

5.5
   
 昭.18.9.1 
   (1943)  
岡山5
     
北東部県境付近で小規模な山崩れ,がれ崩れ,地
割れ,落石等あり
(被害については,どちらの地震によるか判別で
きない)                  
鳥取県東部
(鳥取地震) 
7.2
   
 昭.18.9.10
   (1943)  
岡山4
     
鳥取県沖
(鳥取地震余震)
6.0
   

 昭.21.12.21 
   (1946)

         

岡山4
〔西大寺6〕

     
県南部,特に児島湾北岸,高梁川下流域の新生地
の被害が甚大であった。
死者 52人,負傷者 157人
建物全壊 1,200戸,建物半壊 2,346戸
その他堤防・道路の損壊多し         

紀伊半島沖
(南海地震)

        


8.0

   
 昭.27.7.18
   (1952)  
岡山4
     
被害なし
                      
奈良県中部
(吉野地震) 
6.8
   
 昭.43.8.6
   (1968)  
岡山4
     
被害なし
                      
愛媛県西岸
        
6.6
   
 平.7.1.17
   (1995)
         
岡山4
津山4
     
負傷者1人
                      
淡路島
(兵庫県南部地震)
        

7.2
   

平.12.10.6

   (2000)

         
新見・哲多 
大佐・美甘 
落合 5強 
19市町村 
   5弱
39市町村
   4  
震源に近い阿新・真庭地方及び岡山市の軟弱地盤
地域を中心に被害が多かった。重傷5人、軽傷1
3人、住家全壊7棟、住家半壊31棟、住家一部
破損943棟、その他水道被害、道路被害多し 

                      

鳥取県西部

(鳥取県西部地震)
        


7.3



   

平.13.3.24
   (2001)
         

26市町村
   4
     

軽傷1人、住家一部破損18棟

                      

安  芸  灘
(芸予地震)
        

6.7

   

*印の地震は,岡山震度3であるが県内発生の地震のため特に記載した。
〔 〕内は,当時の観測所とその震度を示す。

○ 津波の記録

 1707年(宝永4年10月4日)宝永地震(M=8.4)
  ○大地震,大風浪あり。(船穂町郷土史)
  ○大地震あり,民家潰れ,高潮起り,死人多し。(牛窓郷土史)
  ○大地震……略……また大風,潮水常より高きこと5尺と凶荒窮知すべきなり。(邑久郡史)

 1854年(嘉永7年11月5日)安政大地震(M=8.4)
  ○劇震の際海嘯の徴あり,一昼夜に潮水の進退およそ20〜30回にして,満潮の時,一時平水より7尺
   余を増し,これがため本村南岸字瀬溝海峡(虫明−長島)の如きは,およそ3尺余の土砂をもって
   填塞し,字扇浦に泥土2尺余を埋塞せり。……略……300余石積みの船舶を碇舶せしも今は漁船を
   入るるのみ。(邑久郡史の裳掛村記事)

 1946年(昭和21年12月21日04時19分)南海道地震(M=8.0)
  県下の津波の余波は,最高潮が1メートル以下で被害はほとんどなかった。
  ○岡山測候所の面する旭川では,06時から10時まで2回,津波により相当の急流となって逆流したた
   め小舟の運行は中止された。10時10分には津波の高さ0.4メートルを観測した。
  ○三蟠港では,当時変潮で引き潮,満ち潮が交互に起り,青土が潮と共に吹き上がり土手が作られた
   という。
  ○児島湾干拓地では,0.6メートルくらい増しやや経って引き,再び前より少ないが満ちてきた。  

 これらの表が示すように、マグニチュードの大きい地震は、南海・東南海地震によるものである。(但し、宝永地震は、この上に東海地震が連動していた。)平成7年の早朝経験した兵庫県南部地震の揺れよりも、更に大きい揺れが有ったのではなかろうか。平成7年、平成12年の地震ともに我々の住む県南地域では、震度4の揺れであった。
 余談だが、この時我が家の庭の石灯篭は、2度とも倒れた。近隣でも家が壊れたと言う話は聞いていない。しかし、昭和21年に有った南海地震では、県南で相当の被害が出ている。かねてから、昭和南海地震や過去に起きた地震について調べて見たいと思っていた。と言うのも、今から30数年前、岡山市内に家を建てようと思い、見聞を深めることに熱中していたことがあった。その中で岡山大学工学部の先生が、県南一帯は、豆腐の上に家を建てると同じで、昭和南海地震で発生した被害の話をされた。この経験は今も強烈に記憶に残っている。平成19年岡山備前県民局が、“岡山県南部における南海地震の記録”を出版された。これにより、岡山での記録に残る過去の地震の様子を垣間見ることが出来る。

 さて 、先日、岡山県立図書館に行き、昭和南海地震についての文献を探した。相談窓口の竹原さんに相談したところ、蓬郷巖著 岡山の災害と、合同新聞を紹介してもらえた。                           
 地震は、昭和21年12月21日に起きたのであるが、当時の合同新聞12月22日版は出版されていない。新聞社自体が大変だったのではなかろうか。翌23日の一面に大きく報道されている。震源地が熊野灘で関西地方に大被害があったと書いている。そして、岡山県南部が被害の中心であり、家屋全半壊1800余軒死傷者110余名と報じている更に、詳細に見ると、今村でも死者1名、岡山西所管内で全壊104戸、半壊116戸に及んだと報じている。現在作られている多くの家とどちらが耐震性があるのか判断できないが、今耐震構造になっていない家屋も相当数あるものと思う。いざと言う場合の心構えが必要と思う。                                    

最初の写真は合同新聞12月23日号である。次の2枚は、県民局出版物から引用した秋岡家文書と長瀬家文書のコピーだ。この2つの文書は、安政1年に起きた安政の大地震の際、川入村の名主と、田中村の名主が記録したものである。残念なことに長瀬家文書に田中村の事は示されていない。秋岡家文書には、当時の街道である比丘尼橋を通って岡山方面に向っての被害記録されている。当時いわゆる農村地帯で、家屋も少なかったと思われるが、相当の被害が発生していることがわかる。

文責 佐藤芳範

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