平成15年3月御南学区水辺の集い協議会は、岡山市の支援を得て私たちの故郷・御南2をディスケット版で刊行した。この中に現在の座主川用水の様子を取り上げている。今回ニューストピックスでも紹介したように歴史を絡めて少し座主川についての知見をまとめた。そこで、二つをまとめて、学区の見所の記事として紹介することとした。 |
先ずディスケットで書いた文章を多少手を入れてお示しする。
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旭川からの導入水路 |
三野の六丁樋から何時頃座主川用水が取り入れられたかははっきりしないが、サイホン形式で川を渡る技術が江戸初期の池田藩によって開発されたと考えるのが穏当ではないかと思う。 |
三野水門 |
三野浄水場付近 |
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岡山大学構内 |
津島西坂 津島大橋付近 |
万成加圧ポンプ場近く
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矢坂大橋西手笹ケ瀬川の底のサイホン取入れ口(右手)左手の本流はやがて笹ケ瀬川に合流する。 |
サイホン噴出し口(昭和46年改修
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座主川用水の最終点
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つい先だって、ニューストピックスに座主川用水について新しい知見を示した、それを少しまとめて以下に示したい。
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この地図は、県立図書館が所蔵している、備前国絵図であり、1687年〜1961年ごろに作成されたものと推定されている。私の技術では、パソコン上に取り込むことが出来なかったので、部分的にデシカメで写して、取り込んでいる。県立図書館のご許可は得ている。
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現在笹ケ瀬川は、万成の外れ(西坂)で、対岸へサイホンで渡っているものと、矢坂の分木でサイホンで対岸に渡り、更に、みのるゴルフガーデンの北側を対岸に渡るサイホンがある。この2つのサイホンも、出来上がった時期は、異なるのだろうか。前者は、大野村史(1956年)に載り、後者は、同誌によると、笹ケ瀬川に流れ込むとある。しかし現状は、矢坂にもサイホンがある。但し、矢坂の分木は、3っあり、野殿方面への取水口 サイホンへのもの 笹ケ瀬川への放水路であり、サイホンに触れていないだけの可能性が高い。サイホンは、2007年ごろ改修されているがその前のものもコンクリート製であったとの事で、最初のものは、木製であったように聞いた。それらから考えると3っのサイホンは略々同時期に作られたのではあるまいか。
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文責 佐藤芳範 |