笹ケ瀬川の水門



 平成20年5月岡山県備前県民局より、笹ケ瀬川の改修工事が進展するという連絡があった。昨年度まで、比丘尼橋から白石橋までの改修工事が終わった。そして、今年度より、白石橋から足守川との合流点までの間の改修工事が、始まるとのことであった。一方、工事区間にある水門の測量が昨年から始まっていたが、これに引き続き、水門の改修工事もあるとのことであった。  電子町内会を立ち上げた頃、水門に興味を持ち幾つかの水門を見て歩いたことがある。梃を使って人力で板を持ち上げていたもの。電動のもの。鉄製の歯車を手で動かしていたもの。いくつかのタイプの水門があった。この地域の水門の特徴は、閘門式が採用されている点である。比丘尼橋あたりまで海水の満ちひきがあったので、堤防内側の農耕用水に海水が混ざるのを防ぐ意味からとられた方式であった。以下地域の水門を紹介したい。 

               
          
 対岸より写した、唐樋の水門 岡山市今保にある。 作られた日付は入っていないが、堤防の完成時と同時期だと考えられる。  笹ケ瀬川に突き出した形で閘門式の水門が出来ている。外側は手回しで上げ下ろしがされていたようだ。
                     
 岡山市今保水門  この水門は、堤防が完成した昭和12年ごろに作られ、つい数年前に改修された水門である。


 その今保水門のある堤防から内側が加古浦であり、 本来は、港を形成していたのだろう。この地域で一番古いこの写真の水門の南に加古浦の碑がある。明治3年に作られたというこの水門は、内側が電動式に改修されているが、閘門式水門の形態をなしている。写真は水門の内側のめー(馬屋)川用水
                 
 辰巳水門 昭和十年竣工のプレートがある。水門内側は、廃川地であり、敗戦後埋め立てが行われたと聞くから、笹ケ瀬川の堤防作りがご城下側から行われた名残りであろう。河川敷に釣り人の姿が見える。
 少し堤防から下がって内側にもう一つの水門があるが、3/5は、現在揚水ポンプの水路となっている。 

                 
 田中水門、辰巳水門と同じく昭和十年竣工のプレートが見える。この水門も揚水ポンプが併設してある。田園地帯が、都市開発の急激な変化で、田んぼが無くなったり、用水が小さく改修されたりして、保水力が無くなり、住宅地の冠水が問題になったのも一因であろうか。
 田中の水門は、堤防からかなり内側に入ったところにある。現在下水道局管轄の揚水ポンプ設置工事が行われている。この水門の横に古い水門に使われていた石材が保存されている。

               
 西長瀬水門 堤防より川側に出っ張って閘門式のための水門がある。舟回しといっていたようだ。岡山や、八浜方面から嫁入り道具を積んだり、生活物資を運んできて、ここから西長瀬の各家に運び込んでいたようだ。

 水門の陸地側(内側)の用水路



                 
 久米水門 対岸より撮影したもの 堤防が出来る前は、この付近まで大きい船が入ってきていた。水門の下手には、堤防築堤以前の倉庫跡や船着場が残っている。白く見える堤防は、本年3月に補強されたコンクリートである。大水の時漏水があり、処置がなされた。昭和12年竣工のプレートがある。
 道路の下になっている閘門式の水門である。十年ほど前、ここから田舟を本流に出そうとして、失敗している。閘門式の水門操作にもかなり高度の技術と経験が要求されたのだと思う。


 唐樋の水門に使われていたという石材が、御南小学校から南へ少し行ったところの菜園の境として残っている。
亦、久米の西村邸の北側の用水には、昭和13年に現在の堤防が出来る前の水門位置の名残りとして、水門が一つ残っている。改修が行われれば古い設備がなくなる可能性もある。一度散策がてら見ておかれればと思う。別の機会に巻き上げ方法の変遷についても触れたいと思う。
                                                                           (文責 佐藤芳範)

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