明治三年津高郡久米村定書 ーその3−


明治三年に久米に御住まいであった深井文平さんが書き残された、この文書の紹介も今回で最後としたいと思っている。この文書の中で用いられている、上中下の区分について何か判らないかと考えて、web siteを検索してみたが、参考になるものが見つからなかった。
 そこで、東昇さんがまとめられた備前国尾上村の記録を参考にすることにした。尾上村では、元禄12年(1699年)に118軒の農家があり、37軒で牛が飼われ、そのうち10名が村役人であり、そのうちの6人は、大庄屋、名主、5人組頭であると書いておられる。
 私は、えいやと!10人程度(8.5%)が上に該当し、牛が飼える残りの農家27軒程度(22.9%)が中に該当する。残り81軒(68.6%)が下であると想定した。久米の集落でも同じ割合であったのではなかろうか。余談はさておき、続きを紹介する。


葬礼の事
一 棺 長棺,坐棺勝手の事
  但し、屋根両障子相用い申すべきこと(書き違いでは?)
一 立飯 親類に限るのこと
  但し、看経、講仲間組合にて世話いたし 相済み申すべき身元よろしき  もの共は、世話いたしくれ候もの、空心をしのぎ候ほどのしたく出し候儀  苦しからず。もとよりかたく禁酒の事
一 出棺暮れに及ばざること
  但しよんどころなき趣により暮れに及びそうらはば苦しからず
一 銘旗 紙にていたすべし その外御触れ面どおり難く相守り申すべきこ   と
一 仕上げ 勤合並びに七日充て、香典開き、酒だし候儀相やめ申すべき  こと
一 葬見届け村役人の外村方の勤合相やめ申すべきこと

旦那寺への布施の定め
  上 米6升価
  中 同4升価
  下 同二升価

一 墓石分限に応ず 省略の事

一 法事一周忌より三年まで旦那寺を迎え、尤も質素を旨とし申すべく
  省略いたすべき事。賄い向前くだんの定めの通り

旦那寺えの回向料の定め
  上 米二升価
  中 同一升価
  下 同五合価

座頭共愁悦(意味が分らないが座頭へ対する謝礼)配当の定め
  上 米3升価
  中 同一升五合価
  下 同八合

右のとおり年中組合村々取行方規則相定め厳重に相守らせ申したく存じ奉り候に付き伺い奉り候以上

   午四月 津高郡口分 大黒正共


 先だって御触書ござ候年中行事 しもつ方にては今一時は、申し定め取締りの趣を書面を持って申し出候様仰せおかされに付き口分談じ 亦別紙書上げ候間、この段 篤と判頭並びに小前一行へ委曲お申し聞かす。尤も別紙の内 減少はかって次第 過分なる儀いささかもこれなきよう休日等の儀別してその村々に差し繰りかって次第 草等の節一ヶ月三日を超え申さざるよう これらはきっとお申し聞かせ置きなさるべく候 その余分別紙日限に係わらずそうらえども休日相い増し申さず。これらは、きっとお申し聞かせなさるべく候。その余の分は、別紙日限に係わらず候えども休日相い増し申さずよう これ又お申し聞かせ 諸事素直に相い守り候様 篤とお申し聞かせ是ありそうらえ
一.集まり並びに倉 御法書は後より相いまわし申すべし そのうち課取立ての儀ひとまず御趣意 米麦 一畝iに二升取り立ての儀そのほか昨日お定めを得候 御仕法ともお聞かせ置き申し候 その中いたし良きよう工夫をめぐらし申したく相い考えおり申し候
右夫々この頃多用中村々に呼び集めお申し聞かせも如何か根付が済み、代充でには篤とお申し聞かせなるべく候
一.当作菜種出来高 並びに渡口など人別吟味の上常の通りお書上げおいおい根付済み御注進と一統にご指図だし是あるべく候 
右夫々御意を得候 早々以上
     五月十一日   深井文平


     組合村々
       里正中


 以上が今回紹介した文書であり、明治三年の久米集落の状況を垣間見ることが出来る資料である。原文コピーは持っていますので必要な方はご連絡下さい。



文責 佐藤芳範