明治3年津高郡久米村定書 −その2−

 


 前回に続き、明治3年に書かれた久米村定め書きの続きを紹介したい。
()の中は、佐藤の注解です。

七月
一 中元祝儀の儀取り遣り相やめ申すべくこと 但し、師匠には従前の通り。併せて、親子本   家分家の間は格別の事
一 盆祭忌懸の外 燈籠のやり取り相ならずのこと
一 牛祈祷と唱え村々により、客を呼びいたし候儀一切相成らざること 但し踊りの儀幼少の子    どもたりともいわい相ならず
一 休日 七日(七夕) 十四日 十五日 十六日(お盆) 牛祈祷

八月
一 休日 ついたち 十三日(日蓮上人の祥月命日か) 日待日

九月
一 敷地祭礼 親戚相招き候儀苦しからず 尤も料理の向き、芋 牛蒡 蒲鉾の煮物 汁 ナマ   ス 酢飯のほか無用
一 どんぶり酒 酢飯のやり取り相成らざること
一 休日 九日(重陽の節句) 祭礼当日 二十二日(日蓮宗に関係ある記念日では)

十月
一 十三日 御命講餅 やりとり無用(10月13日は、日蓮上人の命日)
一 亥猪右に同じに断ず
一 休日 十三日

十一月 
一 紐落とし はかま着等上巳同然の事

十二月
一 寒中勤合 相やめ申すべきこと
一 歳暮祝儀盃 前同然の事
一 餅やりとり相成らざること 但し親子の間は格別の事
一 破魔弓、羽子板のやりとり相成らざること 但し売り出しの者御停止仰せ付けられたきこと

 (ここまでが12ヶ月にわたる各月についての記述)
 

吉凶の節 贈答音物定め
  上 米二升価
  中 米一升価
  下 米五合価

振舞の定め
  上 一汁三菜肴1種
  中 一汁二菜肴1種
  右以下 一汁二菜
  右は、至極念入りに候
  (池田光政が人々に倹約のために食事を一汁一菜にするよう命じたことが知られている。た    だし、庶民にとっては一汁一菜も日常の食事としては贅沢なものであり、通常は「おかず無   し」、つまり、ご飯・汁・漬け物のみというのが日常の食事スタイルであった。)
   時分の定めその余
   土地産物野菜ものにて一切相済ませ申すべきこと
一 毎年五月二十二日 天朝節(天長節の誤りか)
一 四月三日 招魂祭
   在中は三日に限り太鼓笛等にて賑わいの事

婚礼の事
一 婚礼の儀 近来在中にても兎角驕りに長じ候に付き衣服調度ご禁制のとおりいよいよもって   相守り申すべきこと
   振舞の向き前段定めの通りあい守り申すべきこと

結納の定め
  上 米一俵価
  中 米半俵価
  下 米一斗価
  但し減少化って次第の事尤も貧者共にてはよんどころなく奉公いたし候ところ相応のものより  貰い候えども奉公いたし申さす゛にては立ち行き申さずに付き 右返給を見込み結納として少  し過分に遣わし候儀苦しからず。
一 婿取りの儀 右に準ず
  但し、嫁取り婿取り 篭は無用 
  嫁取り 婿取りの後重の内やりとり無用
  定めの鮮料にて相済ませ候う事
  右の節 荷物持ち 人足の祝儀多分に遣わし候儀これあり 向後左のとおり
  上 壱人へ二百貫文
  中 同   壱百貫文
  下 同   五百文

今回は、ここまで、あと5ページほど残っているところは次回に紹介したい。
                                       文責 佐藤芳範