久米下題目石

題目石裏側 写真

久米下題目石の裏側
題目石のある一角は、戦前には、お堂が立っていた。その中に題目石が有ったということである。
さて、下久米の題目石には、写真のような文面が残されている。簡単に言えば、池田の殿様が題目石を持ち去り、いまは、曹源寺の隣にある、大光院に設置されていると書かれている。もともと大覚大僧正がこの地に布教に訪れた時立てられたものであるとも書いてある。
とすれば、久米の部落は、1364年以前に集落としての形を成していたことになり、部落の歴史を現在に伝える貴重な史跡ということが出来る。
以前、岡山市文化財課に冗談めかして、題目石を返してほしいといってみたが、やんわりと断られた。
 この発見は、地域の歴史を考えようと取り組んでいたことがきっかけで、体協会長の野上和夫さんが見つけられたもので、「私たちの故郷・御南」に収録している。
大光院に残る題目石 写真

大光院に残る題目石

池田氏の支配が始まる前、この地域の支配者は、松田氏であった時代があった。この時代、大覚大僧正に帰依した松田氏の下、日蓮宗が盛んとなった経緯があり、池田氏が禁制を引いた後も、備中から川舟で僧侶が出入りしていたという言い伝えを聞いたこともある。現在も、私の様によその土地から移り住んだものは別として地元の方々は、日蓮宗が多く、講を作って居られ、強い宗教心を維持しておられる。題目石のある所を法界様といい、今でもお花が手向けられている。
写真提供: 御南西公民館
じょぼら会
文責: 佐藤芳範

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