鴨方街道(庭瀬往来)

左岸の旧道の名残り 岡山県歴史の道調査報告書第六集によれば栄町千阿弥陀橋(現在の岡山市表町2丁目5番地)を起点として備中を横断して備後福山藩大門へ通じる街道を鴨方往来という。久米の辺りでは、浜街道ともいい、古い時代の海岸線の一部であった。また、ここより上流まで潮水が入ってきていたようである。この道は、小早川が支配していた時代に出来たものである。時代の流れと共に往時の名残が少しずつ失われていっているが、西長瀬や久米の部落の中の道は、ほとんど変化がない。ただ、西長瀬地内でこの道が笹ケ瀬川に至り現在の久米通学橋の付近にあった橋を渡って久米の部落を南下する土手道は、昭和14年ごろに行われた大改修により、かさ上げされ、現在の姿になっている。
左岸の旧道の名残り
下段の石垣がそれ

久米通学橋の近くには、写真のように古いかもがた往来のころの道路面=堤防をみることができる。それでは、鴨方街道より南には集落が無かったのかと言われるとそうではない。そこから南に蟹八幡や、下久米の法界様があり、小早川より古い時代の由来が知られている。そのほかに松田屋敷と言う地名も残る。今保には清水の出る井戸があったし、貝塚が見つかっているなど、今後、このページで取り上げたいテーマになる話題が沢山ある。編集委員会で取り上げて行きたいテーマなのです。 元の堤防
右岸の旧道 元の堤防
文責:佐藤芳範

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