大御饗(おほみあへ)を献る時に、その女(むすめ)矢河枝比売(やかはえひめ)に大御酒盞(さかづき)を取らしめて献りき。ここに天皇、その大御酒盞を取らしめながら、御歌よみしたまはく
この蟹や いづくの蟹 百伝(ももづた)ふ 角鹿(つぬが)の蟹 横去らふ いづくに至る 伊知遅(いちぢ)島 美(み)島に著(と)き 鳰鳥(みほどり)の 潜(かづ)き息衝(づ)き しなだゆふ 佐佐那美道(ささなみぢ)を すくすくと 我が行(い)ませばや 木幡(こはた)の道に 遇はしし嬢子(をとめ) 後方(うしろで)は 小蓼(をだて)ろかも 歯並(はなみ)は 椎菱(しひひし)なす 櫟井(いちひゐ)の 丸邇坂(わにさ)の土(に)を 初土(はつに)は 膚(はだ)赤らけみ 底土(しはに)は に黒(ぐろき故 三栗(みつぐり)の その中つ土(に)を 頭著(かぶつ)く 真火(まひ)には当てず 眉(まよ)画(が)き 濃(こ)に書き垂れ 遇(あ)はしし 女(をみな) かもがと 我(わ)が見し児に かくもがと 我(あ)が見し児に 現(うた)たけだに 向かひ居(を)るかも い副(そ)ひ居るかも
【通釈】「そこ行く蟹さん、どちらの蟹さん?」「遠い遠い、敦賀の蟹だよ」「横歩きして、どちらへお行き?」「伊知遅島、美島に着いたら、カイツブリみたいに一息ついて、楽浪(ささなみ)へ向かう道を、どんどん俺が歩いて行ったら、木幡の道で、出逢ったお嬢さん。後ろ姿はすらりとして楯のよう。歯並びは真っ白で粒揃い、椎か菱の実のよう。櫟井の丸邇坂の赤土を掘るだろ、初め出て来る土は色が赤っぽくて、底の方の土は黒っぽいので、真ん中の良い土を、頭を突くように、直火にはあてずに炙(あぶ)って、黛を作って眉を描いて、濃く切れ長に描いて、俺様とばったり出逢った美女よ。ああもしたいと思って、俺様が見たお嬢さん、こうもしたいと思って、俺様が見たお嬢さんと、いま楽しい宴の席で、向かい合っているんだよ、寄り添っているんだよ」。
【語釈】◇角鹿(つぬが) 今の福井県の敦賀。◇伊知遅(いちぢ)島・美島 不詳。◇鳰鳥(みほどり)の 「かづき」の枕詞的修飾句。鳰鳥は「にほどり」とも。カイツブリのこと。◇しなだゆふ 不詳。「ささなみ」の枕詞的修飾句か。◇佐佐那美道 楽浪(ささなみ)へ行く道。琵琶湖の西を通る。◇木幡(こはた) 京都府の宇治に地名が残る。◇櫟井(いちひゐ) 今の奈良県天理市の櫟本(いちのもと)にあたるという。◇丸邇坂(わにさ) 原文は「和邇佐」。坂あるいは峠の名か。天理市に和邇の地名が残る。◇三栗(みつぐり)の 「中」の枕詞。◇うたたけだに 難解。原文は「宇多多氣陀邇」。「うたた」は「うつつ」に通う語か。
【補記】古事記中巻。近江国行幸の時、応神天皇は木幡村(山城国宇治郡)で美しい少女に出逢った。名を問うと、宮主矢河枝比売(やかわえひめ)と名乗った。天皇は「明日帰って来たら、お前の家を訪ねよう」と言った。比売が家に戻って父にこの話をすると、父はその人が天皇であると察知し、家を飾って饗宴の席を設けた。翌日、天皇は約束通り矢河枝比売の家を訪問した。比売が盃を献ると、天皇はそれを受け取る前にこの歌を詠んだ、という。その後、二人は結婚し、宇治若郎子をもうけた。
|