古い白石橋


 先日町内の友人から1枚の地図を貰った。その地図は、彼が地域の小字を調べたくて法務局と、中区役所へ出向いて得たもので、久米水門や白石橋が描がかれている。
 この地図に描かれている白石橋は、現在掛かっている旧2号線の位置ではなく、やや下流のの辺りに示されている。そして、久米側は、現在の通学橋よりやや下手に位置している。しかし、残念なことにこの地図の作成年についての記述がなかった。そこで統一地方選挙の終わった4月12日法務局へ行き、調べてもらったところ大正6年11月実測製図 昭和2年11月修正の地図であることが分った。
 この地図に現在の周辺の様子を加えて鴨方往来に掛かっていた白石橋のことなどを考えてみたい。

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 この地図が昭和2年に修正された白石橋、久米水門付近のものである。現在の久米水門の南側にもう一つの水門が描かれている。頼経邸と西村邸の間にあったようだ。今もその名残りがある。
白石橋は小林邸と中尾邸の間に向ってかかっていた。特に久米側は河川敷に盛り土をしているように見える。そしてそれは、流れ方向に逆らった様に見える。洪水の時は、住民としては、不安であったのではあるまいか。

 この地図は、web siteから引用したものだが、いわゆる脇街道である道路の延長線方向に掛かっていたようだ。現地に立ってみると、昭和2年修正地図とよく一致することが分る。

 これまで、久米の高齢者に聞いた話では、70年余も前、彼等が子どもの時橋の上から川に飛び込んで泳いだとか、旧国道2号線が出来た後も、橋杭が残っていたということであったが、この地図を見て橋の位置がはっきりとし、鴨方往来の地位が分った。
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 通学橋東側基点に立って背後となる西長瀬の家並み
 通学橋東側基点より久米方面を望む

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 久米小林邸堤防上より西長瀬を望む  古い地図に示される水門跡
 佐藤芳範