先日町内の友人から1枚の地図を貰った。その地図は、彼が地域の小字を調べたくて法務局と、中区役所へ出向いて得たもので、久米水門や白石橋が描がかれている。
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この地図が昭和2年に修正された白石橋、久米水門付近のものである。現在の久米水門の南側にもう一つの水門が描かれている。頼経邸と西村邸の間にあったようだ。今もその名残りがある。 白石橋は小林邸と中尾邸の間に向ってかかっていた。特に久米側は河川敷に盛り土をしているように見える。そしてそれは、流れ方向に逆らった様に見える。洪水の時は、住民としては、不安であったのではあるまいか。 |
この地図は、web siteから引用したものだが、いわゆる脇街道である道路の延長線方向に掛かっていたようだ。現地に立ってみると、昭和2年修正地図とよく一致することが分る。 これまで、久米の高齢者に聞いた話では、70年余も前、彼等が子どもの時橋の上から川に飛び込んで泳いだとか、旧国道2号線が出来た後も、橋杭が残っていたということであったが、この地図を見て橋の位置がはっきりとし、鴨方往来の地位が分った。 |
通学橋東側基点に立って背後となる西長瀬の家並み |
通学橋東側基点より久米方面を望む |
久米小林邸堤防上より西長瀬を望む | 古い地図に示される水門跡 |
佐藤芳範 |