ギャラリー 岡 山 県 下 の 3 重 塔
西大寺 本連寺 余慶寺 真光寺
福生寺 長福寺 本山寺 千光寺
宝福寺 成就寺 神遊山遍照院 五流尊龍院
備中国分寺 銘金山観音寺遍照院
(金山寺)

金陵山 西大寺 岡山市西大寺中
真言宗の寺院。「金陵山古本縁起」によると、創建は751(天平勝宝3)年藤原皆足姫が本尊の千手観音を安置したことから始まり、778(宝亀9)年安隆上人が伽藍を建立した。三重の塔は1678(延宝6)年の竣工、本堂等は江戸末期のものである。備前48ヶ寺の一つである。約500年続いている会陽は有名。昔は旧暦1月14日であったが、現在は2月第3土曜日。
経王山 本連寺 瀬戸内市牛窓町関町
日蓮宗の寺院。大覚大僧正が当地の豪族を教化し、法華堂を建てたのが始まりといわれる。本堂は1483年の建立である。1636年以来、朝鮮通信使往来が始まると、一行が牛窓に立ち寄り、お寺はしばしば通信使の接待、宿泊の場所となる。
上寺山 余慶寺 瀬戸内市邑久町北島
余慶寺は天台宗の寺院。本堂は1570年赤枝三衛門光国一族が秋山道林禅定門のため建立。境内には、本堂、薬師堂、地蔵堂、三重塔、開山堂、十王堂、愛宕堂、鐘楼、梵鐘などがある。備前48ヶ寺の一つである。
御瀧山 真光寺 備前市西片上
真言宗の寺院。聖武天皇の勅命による備前48ヶ寺に737(天平9)年に加えられた。応永年間(1394〜1428)に堂宇の傷みを憂えた良宗が再興、その後また寺は壊れ、1516年承円により修復される。山号は初め小滝山といわれていた。
大滝山 福生寺 備前市大内
真言宗の寺院。奈良時代、鑑真和上が開基したと伝えられる。感応年間(1350〜1352)足利尊氏が軍を瀬戸内市長船町福岡に進めたとき、尊氏の発願によって再興される。三重塔は1441年足利義教が再建し、室町期の様式がよく残っている。この三重塔と山門以外の僧坊はは康正年間(1455〜1457)、赤松、山名両氏の戦火で焼失した。本堂は天和年間(1681〜1684)、池田綱政によって再建された。備前48ヶ寺の一つである。
真木山 長福寺 美作市真神(旧英田町)
真言宗の寺院。三重塔は弘安8年(1285)、旧邑久郡西阿知村の大工藤原国右衛門が建立したことが、棟札から知られる。岡山県下で現存最古のものである。この寺は、天平宝字元年(757),鑑真によって真神の真木山山頂に創建されたと伝えられている。昭和3年(1928),真木山頂から現在地へ移転した。本堂は嘉永元年(1848)の再建である。
岩間山 本山寺 美咲町定宗(旧柵原町)
天台宗の寺院で、大宝元年(701)頼観が寺を建て新山寺となずけ、50年後に本山寺と改めたといわれる。本堂は1350年、宝きょう印塔は1335年のの建築。常行堂は1519年、三重塔は1652年、仁王門は1686年の建築である。三重の塔は県下で最大、檜皮葺である。
石井原山 千光寺 赤磐市中島(旧山陽町)
天台宗の寺院。天平宝字4年(760)、報恩大師が創建したと伝えられる。寺の縁起によると天正18年(1590)沼田左右衛門太夫、同右京進によって再興されtが、火災(亨保20年(1735))にあい焼失、延亭元年(1744)再建した。三重塔は明和2年(1765)に建立された。大工の棟梁は邑久郡の尾形庄助であった。平成11年(1999)改修大修理された。備前48ヶ寺の一つである。
井山 宝福寺 総社市井尻野
臨済宗東福寺派の寺院。県下で七堂伽藍がそろっているのはここだけとか。室町時代の終わりころ、備中兵乱に会い兵火にかかって三重塔を残して全山焼失、江戸時代に漸次復興される。三重塔は1967〜1969年の解体修理の際、1376年を示す墨書が発見され、建立年代も確定された。
藤田山 成就寺 御津郡建部町富沢
奈良時代に、報恩大師が建立した備前48ヶ寺の一つに数えられる古い寺。
三重の塔は、江戸時代中期のもので、棟札によると、1765(明和2)年2月に建立。棟梁は、邑久郡の名工尾形庄助となっている。本尊は大日如来座像が安置されている。
神遊山神宮寺遍照院 倉敷市西阿知町
古義真言宗御室派の中本寺で、現在は別格本山。寺伝によると、開基は寛和元年(985)智空上人とある。三重塔は、寺伝では永亭年間(1429〜1441)に知海僧正が建立したとされていたが、昭和41〜42年(1966〜1967)の解体修理で応永23年の墨書が出てきた、建立が寺伝より早いようである。
五流尊龍院 倉敷市林
701年役の行者の弟子義学ら5人が熊野権現を勧進して、この地にそれぞれ開いた寺院(尊龍院、建徳院、伝法院、報恩院、太法院)で尊龍院はその中心であった。天台宗の寺であったが、今年分離し修験道本庁として独立した。三重塔は江戸末期(資料台帳によると文政3年辰湛海代再建とある)に再建さた。室町時代の特徴を受け継いだ典型的な塔である。調和のとれた端麗な塔である。その塔は第1熊野神社の境内の中にある。神仏混淆時代の名残でしょうか。
銘金山観音寺遍照院(金山寺) 岡山市金山寺
749年、孝謙天皇の勅命により、報恩大師が創建したと伝えられる天台宗の寺院である。報恩大師が備前48ヶ寺を創建したとき、惣本寺となる。文亀年間(1501〜1504)、金川城主松田左近将監から日蓮宗へ改宗を迫られ拒否して、堂塔を全部焼かれる。伯耆の大山寺から豪円僧正が来て努め、岡山城主宇喜多直家の援助もあって、1574〜1975年に再建された。岡山市ない最大の山上伽藍である。本堂(国指定重要文化財)、護摩堂(県指定重要文化財)、仁王門、三重の塔(市指定重要文化財)である。その他灌堂、開山堂などある。2月第1土曜日に会陽あり。
日照山(備中)国分寺(五重塔) 総社市上林
聖武天皇は天平13年(741)国々に国分寺、国分尼寺の建立を命じた。国府のあった賀陽郡ではなく、都窪郡に建立された。
廃寺同様であった国分寺は、亨保2年(1717)b備中惣持院住職の増す鉄和尚が領主蒔田氏の援助を得て、6年かけて修復した。
五重塔再建は文政4年(1821)着工され、20年余りの歳月を経て再建されたものと思われている。平成2〜5年にかけて、全面解体保存の大修理が行われた。この塔の再建尽くしたしょう旭上人の木像も安置されている。