瑞 巌 寺(松島青龍山瑞巌円福禅寺) | |||
宮城県宮城郡松島町松島字町内91番地 | |||
開祖 | 慈覚大師円仁 | 宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
創建 | 828年 | ||
今回の参拝は、雨であったが、ゆっくりお参りすることができました。障屏画はきれいになっていて目を見はるばかりでした。前回の参拝では、欄間の彫刻ばかり記憶に残っていました。 寺は天長5(828)年に円仁によって創建された。平安時代末期には藤原氏の外護をうけた。 鎌倉中期執権北条時頼よって破壊された。かわって法身性西が開山に迎えられ臨済宗円福寺となった。2代目住職には、鎌倉建長寺開山の大覚禅師蘭渓道隆が就いた。天正(1573〜1591)年間に妙心寺派に属した。 慶長5(1600)年伊達政宗はこの名刹を復興し、9(1604)年五大堂を再建、治世の精神的支えとした。 明治維新の廃仏き釈と伊達家から離れ事で衰退したが、明治9年の明治天皇行幸を機に住職、一般壇信徒や国・県・市の援助によって復興した。 昭和60年から21面の障壁画群の修理と創建当時への復元模写事業が行われ、平成7年に完成した。 |
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曽良の俳句: 松島や鶴に身をかれほととぎす 田原坊の川柳: 松島やああ松島や松島や |
門前町と総門 | 参道 |
中門 | 本堂 |
炊事場の煙だし | 本堂裏の庭園 |
五大堂:最初この地には、大同2(807)年、坂上田村麻呂が東征のとき、毘沙門堂を作った。後に、慈覚大師円仁が五大明王(大聖不動明王、東方隆三世、西方大威徳、南方群茶利、北方金剛夜叉)を祀ったとき、毘沙門様は沖の小島に飛びさったとか。現在の建物は、伊達政宗が再建したものである。 | |
五大堂 | 五大堂遠望 |
五大堂縁起 | 松島観光港 |