甲浦学区連合町内会
名 所 旧 跡

金甲山

金甲山
金甲山


セトウチマンネングサ
セトウチマンネングサ
金甲山の名前の由来

 由加の鬼が里に出ては悪行の限りをつくすので、桓武天皇は都で第一の坂上田村麻呂を由加に派遣し、鬼どもをことごとく退治した。(延暦年間の出来事)

この坂上田村麻呂将軍は、児島の通生の浦に着いた。本荘八幡宮で七日七夜の間、悪鬼降伏の祈願をしたという話が伝えられている。将軍は由加の鬼退治に向かうにあたって、児島で最も高い霊山といわれる八浜の金甲山に登り、この山に金の甲を奉納して戦勝を祈願したということである。

この山頂には、神籠石と呼ばれる古代の祭祠遺跡があり、この神籠石を人間が拝む位置に「おがみ石」があるが、坂上田村麻呂将軍が奉納した金の甲はこの「おがみ石」の近くへ埋められたという。 神の峯といわれたこの山は、このために金甲山と呼ばれるようになったという話である。

    (出典 「玉野の伝説」著者:河井康夫)


セトウチマンネングサ

 セトウチマンネングサはベンケイソウ科に属し、本州や四国、九州北部をはじめ韓国、中国で分布するウンゼンマンネングサの変種。

 金甲山と小豆島だけに自生する準固有種で、集塊岩地帯の岩場や岸壁に見られる。葉先はとがっており、直径約五ミリの山吹色の花が6月上旬〜7月上旬に密集して咲く。
   
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