top
庭瀬駅を起点に古城・古刹を訪ね、昔日の面影を残す庭瀬(鴨方)往来をめぐるコースです。所要時間:約2.5時間
A1 A2 A3
庭瀬駅 不変院 庭瀬城址
明治24年3月、山陽鉄道として開通し、明治39年12月に国有化。昭和61年に駅舎を新築し、【岡山市優秀建造物】に選定されました。駅構内には、旧駅舎の鬼瓦や柱が展示されています。
庭瀬藩の開祖である戸川肥後守逹安公が、熱心な日蓮宗の信者で、日鳳上人を招いて開基とし、戸川家の菩提寺としました。
本堂と正面手前に大きな法界様が立っていて、境内の一角には戸川家の立派な五輪塔2基があります。
江戸時代、庭瀬藩主の戸川逹安公2万9千石の居城で、周囲に水を湛えた石垣に囲まれています。四代安風亡き後廃藩となり、その後藩主が何度も変わり、現在では板倉藩・旧庭瀬城址と呼ばれています。堀には大賀ハスが植えられています。more
A4 A5 A6
撫川うちわ製作技術再興の地 撫川城址 庭瀬(鴨方)往来と道標
元禄12年(1699年)、三河の板倉重高が庭瀬藩に移封の際、うちわの製作技法が伝授され、隣の撫川と共に武士の内職として盛んに製作されました。その後、撫川地区で制作者が増え、「撫川うちわ」としてその名を広めました。昭和57年3月、【岡山県郷土伝統工芸品】に指定され、現在では東花尻の撫川うちわ保存会「三杉堂」で技術が伝承されています。more
永禄2年(1559年)、備中成羽城主の三村家親(元親)が沼地に築いた「沼城」が基となっています。その後、宇喜多氏の領有となり、中心は二ノ丸(庭瀬城)に移りました。延宝2年(1679年)、戸川逹冨が5千石を知行した時、城郭を割り、本丸と三の丸を合わせて撫川城を中心に陣屋を設けました。more
鴨方往来は、江戸時代に岡山藩によって岡山城下を中心に放射状に整備された6つの官道の内のひとつ。沿道には今も当時の面影を残す寺社や白壁の商家が並びます。また金比羅への道を示した石の道標(A〜F)や石灯籠(常夜灯)も、多く残っています。more
A7 A8 A9
三玉宮 庭瀬港・常夜灯 松林寺
腰折様とも。伝承では、昔この地方で戦いが行われ、腰を痛めた武士が敵兵に追い詰められた際、「後世まで祀ってもらえれば、以後腰の病に霊験を与える」と言い残して討ち果たされた。それを地域の者が祀り、腰痛に霊験あらたかと信仰されている。more
庭瀬港は、1192年頃から内陸の港として栄えていました。常夜灯が設けられたのは1700年頃と言われ、1818年に修復するも、昭和29年(1954年)台風により倒壊し撤去されてしまいました。しかし地元で再建を望む声が高まり、平成19年10月に再建されました。

本尊は地蔵菩薩を祀り、暦応2年(1339年)別峰大殊円光国師により創建され、元禄15年(1702年)には庭瀬藩主板倉家の菩提寺となりました。寺保有の「絹本着色開山別峰国師頂相(絵画)」は昭和34年【県重要文化財】に指定されています。山門の脇には「不許葷酒入山門」と刻んだ戒檀石があります。

お問合せ先:岡山市立吉備公民館(庭瀬かいわい案内人)tel 086-293-2170