平成26年度 加茂健康づくりウォーク記 by三垣 |
3月14日(土)加茂地区、高松農高、花房知行所巡りコース 高校健児の春舞台となる選抜野球の組み合わせが昨日あり、岡山代表の理大附は千葉代表の木更津総合との対戦が決まり、キャプテンは「強豪を引く」という役割を果たせたと笑顔を見せたという。頼もしい限りだ。平成26年度の我われの活動もきょうで最後になる。6時の起床の時点では静かに降っていた雨も、幸にも8時過ぎには曇り空ながら止んだ。行く途中の足守川の川原には、珍しく上陸した鴨が忙しげに何かを啄ばんで群れている。 8時半、公民館に23名の者が集合。例の如く準備体操の後、コース確認をして出発。 来年度に向けての協議会も会員の協力により、限られた時間内で新しい年度計画を作成することができた。長年続けると同じところより新しい土地の見聞を広めたい気持ちにならざるを得ない。来年度は少々遠隔地が多くなったが、会員各自が健康を目指して頑張って何らかの成果を上げることができればと思う。 |
2月7日 最上稲荷・奥の院、竜泉寺コース |
1月10日 吉備津神社コース(定番) 新年の平穏と健勝を祈念したいところだが、朝刊1面トップに、7日に起きた仏週刊新聞社銃撃事件の容疑者が「パリ郊外で立てこもり」をしていることを報じていて寒心この上ない。しかし、きょうは吉備津神社では「十日えびす」のお祭りの日。そして、小寒に入って五日目だが平年並みの気温(9℃)で、「中国山地沿いは雪か雨になるかもしれないが、瀬戸内沿岸は晴れ」の予報。明け方の空は快晴で、寒中にしては絶好の平穏なウオーク日和を迎える。 午前9時、加茂小学校校庭に20名のものが集合。準備体操の後コースを確認して出発。 新年早々世界中がフランスのテロ事件等の突発する政情不安に襲われているが、初詣を兼ねての恒例の我がウオークでは、幸い温暖な天候に恵まれ予定通りのコース運びができたと思う。この先高齢の駄馬に鞭打ちながら、健康・安全で他と協力する一年を送るべく努力することを心掛けたい。 |
12月6日(土) 造山、黒住コース 日本列島が冬型の気圧配置に覆われ、「中国山地沿いでは雪が降るところもあるが、瀬戸内沿岸部はおおむね晴れ、昼間の気温は7度から8度の真冬並の寒さ」との予報。防寒の衣装をまとう。 午前9時造山古墳駐車場に24名のものが集合。厳しい天候と常道コースのため参加者が少ないのではないかと心配もしたが、好成績の参加者で内心ホッとする。例によって準備体操の後コースを確認して出発。
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11月7日(金) 瀬戸内市餘慶寺コース 暦の上では「立冬」のきょうではあるが、三四日前からの好天続きに恵まれ、日本列島の南岸を北上している台風20号は全く影響ない快晴の絶好のウオーク日和になる。 午前9時高松駅集合。体操の後、9時22分発の電車に乗り、岡山駅で赤穂線9時54分の電車に乗りかえ10時15分西大寺駅に着く。構内のトイレで用をすませて、駅前に出る。通勤通学の時間帯を過ぎているために、駅前の広場は閑散としている。 →県道24号線を東に向って進む。沿道には新しい大型の店舗が並んでいる。安定所前の交差点から右側の歩道に移り、緩やかな上り坂を進んで雄川橋に出る。前方の山上には目指す余慶寺の三重塔が遠望できる。足もとには吉井川の豊かな流が映る。「さすが県下の三大河川。大きいなー」の声。橋を渡り終え、道を射越橋の交差点から東に向け県道69号に出る。三叉路の標識には「竹下夢路生誕の地7km」の文字がある。道は余慶寺のある山塊の麓に沿うが、参道入口は南にあるので大きく迂回して進むしかない。南下する途中から市道に入り、県道226号線に移り参道入口に着く。 →お寺の参道にしては道幅がかなり広い。生活道路としても使われているのであろう。坂道を下ってくる車に出くわす。道路拡張のために削られた崖面には、灌木の紅葉が続き目を楽しませてくれ、3km余り歩いた足には活力になる。ゆるやかに蛇行する坂道の旧参道らしき所に「遊歩道入口」の標識がある。そう言えば一時荒れていたこの「上寺の森」は、地域の人達が「絆の森」として大切に管理していると聞く。 →木立が途切れた所に出ると、下手近くに旧参道の隋神門がみえるが、今は参門としては使われてないのでやや寂しい気もする。一同しばらく佇んで遠目に見る。向きを変え前方を見ると、広々とした境内に林立する堂塔伽藍が神聖な感覚で目に入る。惹きつけられるように境内に入ると、視界が開け西大寺の市街が眼下にパノラマのように拡がって見える。大型の「境内案内」板の前に立ち、全山の聖地を概観する。 →納経所余慶寺会館に行き、訳を話してビデオを視聴させてもらう。報恩大師のご開山の天台宗のこの寺は1250年以上の歴史があり、本堂、薬師堂等々の堂宇に加え、塔頭6院があり、指定文化財も数多く、年間数々の祭礼が営まれていることなどを知る。館内には、朱印帳・お守り・掛け軸等も売られており、朱印納経の仕事をされている寺職の方が交代で務められている。 →時刻も正午近くになり、地蔵堂前のベンチを借りて昼食を摂ることにする。温暖で快晴に恵まれ、静かなたたずまいの中で歓談しながらの食事は幸せに尽きる。 →食後は約1時間かけて、個々のペースで境内を散策しながら見学することにする。先ず、先ほど会館詰所で頂いた「境内案内」のパンフレットを見ながら、寺域諸仏の概略を確認する。 →広場そばで屋根に唐破風のある袴腰の鐘楼に行き、後ろ側まで廻ってみる。梵鐘は県指定文化財で、宇喜多秀家が九州での戦で持ち帰り寄進したものだと伝わっている。楼上に上がることはできない。 →本堂に廻り参拝する。かつて、中国三十三観音巡拝で来た時の記憶は全く薄れていて、様子は思い出せない。室町時代の建物で国指定重文。正面の唐破風の屋根は後補らしい。本堂には像高167.8cmの聖観音菩薩像が奉られている。廊下の床を踏むとその古さが伝わってくる。 →八角堂の格天井には真新しい寄進の「花の天井絵」があり、志納金一枚15万円とある。つづいて十三仏堂に参る。階段を下り地階にあたるところに、石造の十三仏が左右に分けられて奉られている。 「阿閦如来」の像の前で、お互い「阿閦」(あしゅく)の文字が読めなくて「分からんなー」と口惜しがる。 →江戸後期の建築である総高22mの三重塔を仰ぎ見ながら、その奥にある薬師堂に上がる。賽銭箱の上の天井から滑車に吊るされた大きな数珠の輪があり、数珠を引くと「カチカチ」と音を出して珠が落ちてくる仕掛けになっている。あたかも神社で拍手を鳴らすのと同じだ。「百八個あるのだろうか」と探求心旺盛な二人が数えてみたが、二人とも九十数個にしか数えられないので頭をひねる。堂内に祀られている薬師如来坐像は、国指定重文であるが、薄暗くてお姿が判然としない。 →堂前に並び立つ作庭家岩本俊男氏の石組に見惚れながら、神仏習合の豊原北島神社の鳥居をくぐって拝殿に詣でる。鰐口を鳴らし、二礼二拍手一礼をする。先日の大社参拝の「二礼四拍手一礼」を思い出す。境内の参道脇に国指定重文「五色威甲冑」の標柱が目に止まったが、このことはどのパンフレットにも記載されてない。 →いずれかの塔頭に参詣したくて、「圓乗院」、「定光院」と巡るが、入口が閉ざされていて入ることができない。更に坂を下って恵亮院を訪れる。門をくぐって本堂前の庭に入らせてもらう。大きな石の手水鉢が据えてある。園芸の行き届いた庭に見惚れ庭木の剪定のことなど話し合う。庫裏を叩いて、住職に疑問であった「阿閦如来」のことや「数珠の数」について教えてもらう。 →見学の時間もなくなったので元の広場に戻り、記念写真の撮影場所を相談する。三重塔をバックに並んで写真を撮る。 →撮影の後、会館内の女性の職員に礼を告げて、大富駅を目指して下山。下りは足取りが軽く、鈴なりの柿に冗談を飛ばしながら、難なく今城幼稚園脇につく。校門脇の電柱に「海抜1.6m」の告示標識板がたっている。想定される地震津波の警告板であろう。つづく今城小学校の校庭の金網の塀には、案山子十数体が並べて懸けてある。 →14:07の電車に間に合いそうなので急ぐ。大富駅は無人駅であるが、先頭が駅に着いた所で電車は入構。諦めかけていると、電車の運転手が我われを見かけて親切にも電車を停めて待っていてくれる。後尾のものを大声で呼んで車内に飛び込む。 →14:32岡山駅に着き、14:53の吉備線の電車に乗り、15:13高松駅に帰着。予定していた15;31より1電車早く着くことができた。歩数14,687歩。 山陽新聞社刊行の「吉備の国寺社めぐり」には、「一山寺院と神仏習合、県下屈指の大伽藍」と記されているが、上寺山餘慶寺へのウオークは、快晴温暖に恵まれ所期の成果を得た。天台宗の教に「一隅を照らす」とあるが、「本当の心の豊かさ」を求める姿にあらためて共感を覚える。 |
10月4日(土) 鬼ノ城コース |
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9月6日(土) 津山方面 7時前に高松駅に飛び込み駅員に聞くと、津山線は平常通りの運行とのこと。一先ず胸を撫で下ろす。やがて、「事故」のことは知らず、次々に遠出の旅立ちを期待する笑顔で、会員が集まってくる。 集合7:20、参加者22名(途中乗車2名、計24名)。準備体操割愛して、1番ホームに出る。 7:42乗車、岡山駅8:04着。9番ホームの津山線8:07発の電車に乗りかえる。通勤通学時刻の電車のため法界院駅までは満席。多数の乗客が降りて車内はガラガラ。分散していた会員同士が呼び合い隣り合わせで1時間半ほどの電車の旅を楽しむ。「落石事故」は、何も無かったように鈍行電車は行く。このところ気ぜわしい日常に追い立てられているので、山あいの民家や稲穂の続く風景には気持ちが癒される。かつて津山までは、車で国道53号線を走っていた身には、周りの風景が目新しいことばかりに感ぜられる。電車が誕生寺の傍を通過した時、初めてこんな近くを走っていたのかと気付く始末。左右に揺れながらゆっくり進むディーゼルカーは、9:37無事終着津山駅に着く。地下道を通って改札口を出る。 駅前で「津山観光ボランティアガイド」の末澤氏の出迎えを受ける。挨拶、出発準備完了。 |
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8月2日(土) 長良、県立大学方面コース このところ連日全国各地で熱中症患者が続出する暑さが続いている。今年は昨年の反省から長良山方面のコースを一部変更して時間短縮で実施する計画を予定にしていたが、台風12号の影響で早くも夜半から雨が降り出した。 |
7月5日 楯築、惣爪コース |
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6月7日 早島町内名所旧跡コース 5月末日から気温30℃を越える猛暑日が日本列島を襲い熱中症患者が続出したが、4日頃から急変して県内は梅雨に入り、降雨と共に25℃位に下がった。昨日は二十四節気の一つの「芒種」で、各地で水張りのされた田圃の中で田植機が懸命に活躍している。 今日の天気予報は、「瀬戸内は雨の降るところもあるが、雲の多いい天気ながら晴れ間が出、昼間の最高気温は25℃を越えるところが多く蒸し暑い」とのこと、天助か、6月としては恵まれたウオーク日和である。 高松駅前8時集合、体操・日程確認をして出発。8:29発の電車で岡山へ、ホームを移して瀬戸大橋線快速マリンライナーに乗りかえて早島駅下車。出迎えの早島観光ガイドの曽我さんに案内され観光センターに入る。裏側の広場に出て四人のガイドの方との対面。代表の駒井さんから歓迎の挨拶と、散策道「不老のみち」の設定趣旨や「旗本戸川家陣屋」「宇喜多堤と干拓」「金毘羅往来」「い草と畳表」の歴史文化の早島町の概略の説明を受ける。参加者25名を二班に分けて出発。 →市道に出ると道幅広く電柱の立ってない通りに開拓地のゆとりを感じる。北上東進して宇喜多堤起点地・竜神社に着く。天正年間宇喜多秀家が汐止めの堤防を築き干拓の端緒とした。ここから西に伸びる県道倉敷妹尾線が堤防跡地である。この地は竜王山として旱魃の時に雨乞いの祈祷がなされた竜神社・鍋森宮が祀られている。昭和40年代に削平され広場が拡幅され八幡様の御神輿のお旅所となっている。 →道幅の狭い島の古道に沿って進む。石見銀山開発功労者の安原備中守供養塔がある所に案内板が掲げられ、徳川家康から褒美として「上服と扇子」を貰ったことなどの説明がある。案内板の上段の立石の垣の中に供養塔が立っており「寛永十二年 安原備中守源知種」と記されている。 →県道153号線を横断して、西進南下するところの道端に「市場村講中」銘の金毘羅灯篭が立つ。 →すぐ近くに眼科医清澄家の明治時代の洋風住宅が美しい姿で残されている。 →千光寺の塀沿いに丘を上り竹井将監五輪塔前に出る。城山の砦にいた将監は冠山合戦で加藤清正と一騎打ちで斃されたが、秀吉から立派な武将として手厚く葬られたと言う。遠藤周作の母方の縁故者でもあると聞く。別の所にあったものを後代現地に移されたという。 →町民憩いの場として桜の名所早島公園に上り、トイレ休憩をとる。 →公園から国鉾神社境内に入る。戸川家9代の安悌が寄進した石灯籠がある。祭神は大国主命であるが境内はつつじの巨木が一面に広がり見事な庭園をなしている。つつじ公園とも呼ばれている。公園上段の広場に上がり、吾妻屋をバックに記念写真を撮る。 →なだらかな坂道を下り戸川記念館に入る。知行3,400石の旗本戸川陣屋址の一角に戸川家の遺品がところ狭しと陳列してある。所蔵品・陣屋絵図・家伝の具足・軍勢揃い絵巻・行列絵巻・高梁川洪水絵図・宇喜多堤図等々。高松の花房家の資料からすれば圧倒的な数量に驚嘆する。館を出て陣屋の遺構「石橋と堀」を見る。→宇喜多堤跡の県道152号線を西進し、県道187号線がぶつかる所にあるいかしの舎(や)の門をくぐる。畳表の問屋「寺山家」の屋宅を明治期の歌人岡直廬(おかなおあり)が「盛りに足りて厳か」の意味で命名したと言われる。建物の見学だけでなく、和室、応接室、展示室、販売コーナー等があって、結婚式披露宴の会場や喫茶、食事会、研修会議などの行事の会場として施設利用ができる。 →裏口より通りに出ると幅広の通りに沿って、二階建ての建物に一部3階の建物のある豪奢で、幼稚園としては意外な様式の園舎が眼に入る。道を南に折れ正面側に廻ると幼稚園であることが納得できる。園のグラウンドには立派な遊具施設がある。土曜日で園児の姿は無いが、恵まれた施設で遊ぶ子供たちの声が聞けたらと思う。 →南下して12時前に中央公民館に着く。館の好意で読書室を昼食場に提供していただいて弁当を開く。ミル式の一杯100円のコヒーの自動販売機があり、食後に列を成して殺到する有様。12時45分、公民館講座「温羅の面つくり」を見学して、午後の部に出発。 →館を出て北上、堤跡の県道152号線を西進して、安政三年早島・大阪・江戸の畳表問屋が奉納した東参道の一対の常夜灯に着く。瀬戸内海を航行する船の安全を祈願して、児島湾を見渡せるこの高地に建造したものだ。高さの明示は無いが、いわば灯台の役目を願ってのものと思われる。 →参道を進んで鶴崎神社に着く。鶴崎神社には二つの社が祀られ、双殿つくりと呼ばれる拝殿は、向って左が八幡神社の拝殿であり、右が鶴崎神社の拝殿になっている。鶴崎神社の祭神は大吉備津彦命であり、吉備津神社同様に春秋二回の七十五膳据神事が執り行なわれると言う。宮司さんの30分に及ぶ案内を聞き、平成21年に社殿が新築され、棟梁、費用、造り様式、本殿移築、神輿、隋神門のことなどを知ることができた。 →神社に拝殿に参拝して正面参道を下り、再び県道52号線を渡り弁財天港跡に着く。弁才天厳島神社の裏手には巨石群があり早島が島であった頃の波打ち際の様子が容易に想像される姿で散在している。 →帰りの電車の時刻が迫ってきたので先を急ぐ。予定していた舟本荒神社、歴史民族資料館見学を割愛して東進して、早島観光センターに帰着。朝の出発では見学できなかった館内の特産物展示販売コーナーに入る。帰りの電車の時刻が氣になり、非礼を詫びながらガイドの方々に慌しく挨拶をして別れる。駅に着き、ホームに出ると駅舎の日陰の下を爽やかな浜風が通り過ぎ、思わず深呼吸をする。談笑をしながらしばし電車の到来を待つ。2時24分快速マリンライナーに乗り、岡山駅を経て3時13分高松駅無事帰着。来月のコース確認をして解散。歩数15,650歩。 入梅の降雨の心配もあったが、出発時の薄暗い曇り空は全く消え、穏やかな日差しを受けながら帰宅できた。豊かな財政で都窪郡内で唯一独立の町制を敷く町に羨望を感じたが、案内のガイドの方々は勿論、公民館の方、記念館の方、宮司さんなど町を上げて我われ来訪者への早島の方の歓待振りには感謝と敬意を強く覚えた。お蔭で楽しいウオークの一日を過ごせて貰った。 |
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5月10日 竜之口八幡宮コース |
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4月5日 玉野市深山公園コース |