平成23年度 加茂健康づくりウォーク記 by三垣

33日  加茂コース

 今年度最後のウオーク。ウオークの日に一番気になるのが其の日の天気。予報によると、「寒気の影響で雲が多いが、昼過ぎから晴れてくる見込み」。このところ雨天続きの天候も当地では一変して絶好のウオーク日和を迎えることができた。

集合時刻の八時半前から加茂小の校庭にはミニバスのかわいい選手たちの歓声が聞こえる。親善対抗試合が行われるという。集合地点を本館側に変えて、前回の記念写を配ったりして会員の集合を待つ。やがて参加者総勢22名が集う。

 朝の新鮮な空気を胸いっぱい吸っての準備体操の後、10時過ぎに帰着する予定で出発。→校門から県道に出て、「市指定毘沙門天像」の安置されている宗蓮寺の塀沿いに三本木地域に向う。→北上して十二ケ郷「加茂用水」に出て、南手に「榊原氏」の津寺知行所を遠望する地に立つ。この地の歴史をふり返る。→用水沿いに南下して高速道の隧道を潜って賀茂宮に着く。東横の通用口から境内に入る。拝礼の後正面参道口に出ると、散歩途中の地域の人から、最近のこと「阿吽の石の狛犬」の「阿像」が何者かに盗まれたことをおしえられる。寒心身の毛のよだつ想いだ。→田園の道を南下して「不受不施派」の顕彰墓碑に着く。碑文の説明を読んで先人の魂に触れる。→加茂団地・中須賀団地を通って、加茂城址の見えるところに出る。「甲の丸」に通ずる道に立ち、「芋虫」のように広がる連郭式の戦国時代の城址の歴史に思いを馳せる。高松城同様に沼地の中の微高地は当時としては最適の陣地だった。ふり向くと秀吉軍の「鼓山陣」が間じかに迫って見える。→予定の帰着時間が来ているので、「西の丸」の中ほどから南下して最短距離を小学校正門に向う。→小学校の正面玄関の階段に並んで教頭先生にシャッターを切って貰う。

 今回は一時間余りのウオークではあったが、あらためて地元の貴重な歴史に触れ心の温まる充実感を覚えた。

 其の後、来年度に向け協議会を開く。〇自己紹介を兼ね反省意見 〇役員改選 〇来年度のコースの選定 〇運営のあり方などの協議が午後一時前まで進められた。「知らなかった地域のことが分かった。」「来年度も参加したい。」等々前向きの声がほとんど。平成十八年から始められたこの会も来年度に向けスタートが切れそうだ。

 今回の協議会に「会場」「世話」等のご便宜を頂いた学校並びに教頭先生に紙上を持って厚く御礼申し上げます。

 ――――「健康は足から、良識は見聞から」――――『加茂健康づくりウオークの会』

 

24日 最上稲荷・奥の院、龍泉寺コース

 立春の日。きのうの寒さの厳しさが一変し、紀貫之(きのつらゆき)の和歌「〜結びし水の氷れるを春立つきょうの風や解く〜」を思い出させる好日和。9時高松城址の北の駐車場集合。新に入会の1人を含め総勢25名。コースの確認。(ほぼ)昨年同様コースにする。910分出発。

→僧文英の福成寺跡。→慣れたコース、談笑しながら各自のペースで旧稲荷西参道(しとう)()を経て「 お稲荷さん」境内に入る。→きのう賑わった節分「豆まきの桟敷」の舞台裏の広場のベンチを中心にひとまず小休止。ふと、これから登る竜王山を仰ぐと報恩大師の祈願された八畳岩の一角がくっきりと眺望できる。早速、きょうの記念写真の撮影を思いつき、整列カメラに納める。→「霊光殿」参拝の後、市指定の文化財霊応殿に参拝。寛保元年(1741)上棟の仏教建築的要素を示す神殿遺構とされている。→奥の院参道の急坂を登る。ケーブル遺構に沿い、左手に道を変えて八畳岩に出る。報恩大師の岩窟前に立ち、およそ1300年の御遺徳を偲ぶ。→八畳岩上手の横穴式古墳に寄る。窟内には、焚き火跡の小枝が散乱しているだけ。→再び奥の院参道を登り、ケーブルの終点に残るラジオ塔広場で一息つく。→二つの鳥居と石塔、題目石の続くなだらかな参道を上って奥の院一乗寺境内に入る。本殿前の広場に小休止をしながら、各自で本殿・宝塔参拝。→昨年同様11時に出発し、登山車道から市道長野線に出る。竜王池湖畔の道を経て、竜泉寺境内に入る。本殿の屋根瓦の五色の鯉などを話題に参拝。→寺務所に行き来訪の挨拶をして、休憩所で昼食をとる。いつもながら過分の接待を受け、今回は「自然を守る会」の記録ビデオを見せてもらう。→1245分、「住職の奥さん」に別れを告げ、竜王の滝に向う。昨日の雪はほとんど残ってなかったが、修験の霊気は身に迫る。→石段を引き返してユルギ岩の前に出る。興味津々女性も岩に触れて驚嘆。→七つの不思議岩があるというが、分からないまま太閤腰掛岩前を通って竜王池湖畔に出る。→赤鳥居をくぐって、八大竜王大宝塔身代わり地蔵尊鯉岩、寄進の地蔵尊群を拝して自然公園の湿地に出る。「守る会」の会員T氏のホームページのことを話題にする。→吉備自然道を降って往路の登山道に出て、稲荷荒行堂境内に入る。→昨年は行かなかったが、「高松城水攻め」の信長軍(秀勝?)の陣所にもなったとされる日蓮上人像の祀られている高台に上る。高松城址を中心に遥か向かいの「隆景の陣所」のあった日差山までの眺望が効く。→清水宗治が信奉した伝えられる妙見堂に寄り、下って稲荷山妙教寺境内に入る。昼を過ぎている時間帯のせいか人影は意外と少ない。→帰路を急いで仲見世筋を避け、西大池の西沿いの道を南下して3時前に城址駐車場に無事帰着。行程10キロ余り、歩数約2万歩。次回の今年度最終回の予定を確認して解散。

 会員の人気のコースを踏破して、数々の霊気と人情の温かみを授かった晴れ晴れとした一日に思われた。

 

15日 吉備津神社コース(通常コース)

 東日本大震災とそれに伴う様々な悲しい出来事から、人々が『絆』を大切に生きようとしております。今年は辰年、昇竜に幸せを授かりたいものです。第一土曜日が17日になるため、初詣気分を願って実施日を今日に変更する。昨年同様に山陰から県北にかけて大雪が報ぜられてはいたが、身の引き締まる寒さの中の晴天のウオーク日和。総勢大人22名と子供7名。体操の後、通行の安全やコースを確認をして出発。→国道180東加茂の交差点を渡り吉備津地区へ入り東進。→地蔵堂から宮西川(板倉川)に沿って板倉町筋に出て東進。→吉備津駅前より松並木の参道を通って国道180号を横断。→参道の松並木を抜け、駐車場前で境内での集合場所を確認して単独参拝とする。→手洗い舎、矢置き岩から北随身門へ。→急な石段を登り拝殿から本殿に向かい拝礼。→社務所前の広場で待機。→頃よし本殿の亀腹に掲げられている『辰の絵馬』をバックに記念撮影。団体参拝で祈願順を待っている紳士にシャッタを切って貰う。→一童社の絵馬架けのトンネルを抜け社殿に拝礼。お年玉に見立てて持参のチョコボールを配る。→えびす宮を経て回廊に出る。→お釜殿を外から拝礼。→西入口の鳥居を経て神池の宇賀神社に参拝。→奥の橋を渡って青龍山普賢院に移る。本堂、客殿、仁王門。→吉備津町筋を経て藤井高尚旧邸跡の岡山大学吉備文化研究施設側の入口に着く。→北進して町筋の街道に出て鯉山小横にある瀬尾太郎兼康の供養塔に参拝。→西進して神変堂横を通って国道180号を横断。板倉川沿いに板倉大橋から町筋を西進。西町ちびっ子広場脇を抜けて国道180号に出て東加茂交差点を渡る。→相賀邸跡公園前を経て、加茂小に12時前に無事帰着。次回のコース確認をして解散。

天候に恵まれてすがすがしいウオーク日和のもと、粛々と新しい年の出発になった。


 

123日 大崎廃寺・三上山霊場巡りコース

  前日2日の夕刻から予報通りの雨が音を立てて降り出す。しかし早朝には雨もやんで朝日が差し込む。シメタ幸いなるかなと内心喜んでは見たものの、集合時刻の9時が迫ると「瀬戸内沿岸は所々でにわか雨があるだろう」という予報通りの雲行きになり雨が落ちだす。先月、雨で中止しただけに今回は小雨決行の宣言をする。総勢20名。高松城址駐車場から宗治公民館の軒先に移動して本日の行程の確認をする。→小粒の雨の中を大崎廃寺跡を目指して出発。八幡山の鉄砲陣を遠望しながら進むこと10数分で田圃の中に残る廃寺跡に到着。『天文四年乙未五月日・念仏講・文英筆』銘の石仏は厳然と雨中に立つ。雨に濡れた畦道を直進して基壇に立つものと迂回して小道に沿って進むものに分かれる。発掘調査はされていないが、塔・金堂・講堂が一直線に並ぶ「四天王寺式」と推測されている伽藍配置だそうだ。七世紀前半の素弁蓮華文軒丸瓦が採集されていることから渡来系の人々の力を借りて建立されたと推測されている。→舗装された道路を北上して大崎八十八ヶ所霊場に向かう。「霊場起こし」の斎場跡は旧道にあって道路沿いから離れている。やがて舗装道が切れ正和池の築堤記念碑の前に出る。碑石には『正和池記』の表題が付いて昭和二年十月に建立され築造の由来経緯が記されている。→そこからすぐ上手の妙見上池の堤防道に立つて妙見山の姿を覗うと円錐形の美しい霊峰が七合目辺りまで雨霧に隠れているのが悔しい。しかし池畔周りには紅葉が今を盛りに華やいでいる。先ずは、ここで写真をとカメラを構える。でも堤防の上では場所が狭くて望み道理にはいかない。取り敢えずシャッターを切る。→堤防を渡るとすぐ山道に入る。道は二つに分かれ左「お遍路道」・右「行者道」の標識が立つ。霊場巡りを訪ねるウオークではあるが「行者道」に沿って霊場逆廻りに登ることにする。落ち葉に埋もれる坂道をしばらく行くと路傍に二体の石仏が併置して祀られている。八十八番札所に当たるここの二体の石仏は、紛れもなく結願大窪寺の本尊薬師如来坐像と弘法大師坐像に見える。なだらかな巡礼道を進むと次にも二体の石仏が祀られており、八十七番札所長尾寺の本尊聖観音坐像と大師坐像とおぼしき石仏だ。→濡れた落ち葉道を気にしながら進むと、大崎お遍路道の特徴である古墳に祀られている石仏に会う。羨道部が壊れた小さな横穴式古墳の中に二体の石仏が祀られている。好奇心に満ちた歓声が飛ぶ。→小さな流れを跨いで開けた広場に出ると「大師講のお堂」があり、横手に「霊場開基百年供養塔」が立つ。→それを過ぎると曲がりの急な登り道になる。古墳に祀られた二体の石仏が続き、やがて遍路道が横穴式古墳の羨道を貫けて行く。古墳の中に片寄せて二体の石仏ともう一体の石像(神変像)が祀られている。次の石室には二体の石仏と僧形八幡神像とおぼしき石像が祀られている。→道幅が狭くなり急坂になってくる。路傍には横穴室石室の中に祀られている霊場が続く。道はいよいよ急峻になってくる。見上げる岩上に磨崖仏二体が聳える。上の一体は大日如来立像。下の一体はよく分からない。説明板が立ててあるがうっかり読み逃す。→台風での倒木の下を潜りながらさらに進むと山上大権現霊場「山上堂(妙見山徳光院本堂)」に出る。説明板あり。山上大権現、不動明王、神変大菩薩を祀ってあるらしい。→山上堂の裏手を抜けてさらに急坂を攀じ登ると視界が開けて妙見大菩薩碑の立つ妙見山山頂に出る。六角の石塔の正面には南無妙法連華経妙見大菩薩の刻字が見える。背後に古代祭祀跡山上大権現石仏群の標識が立ち、その横下に八大竜王・不動明王などの石仏五体が祀られている。妙見上池の堤防のところから霧に遮られて眺望がきかなかった山頂に当たるところだ。妙見山の山頂に立ったことになる。立ち木が邪魔をして眺望は良くない。雨はほとんど上がってきた。ここはまだ三上山山頂ではないことが分かって、記念撮影は取りやめ山頂めがけて先を急ぐ。→なだらかな下り道になるが倒木に邪魔をされ進みにくい。稲荷の奥ノ院からの合流道に出ると道幅も広く歩調も軽やかになる。数箇所の霊場石仏の前を通過して200mほど進んだところで三上山山頂の無線鉄塔のある広場に着く。四十三番札所が祀られている。山頂の広場で記念撮影をしようとすると、シャッターが作動しない。どうやら雨に濡れたためだと分かって悪戦苦闘。やっと機能回復処置OKで破顔を撮る。→山頂から「お遍路道」を経ての下り道は、このところ人通りがなく難コースとの声も出たが、逆廻りのコース順で帰路につく。→頂上からのなだらかな下り道は「高松城水攻め合戦」のときに土塁が築かれていたと伝えられている小径に沿う。二体の石仏が並置されている札所を幾つか過ぎると、幅広の岩石にはめ込むように刻まれた磨崖石仏千手観音像がある。→坂道を下っていくと石仏が祀られている大型の横穴式古墳が続く。古墳の奥が深くて石仏を確と拝めないが、大型古墳の連続で歓声がわく。大崎三号墳(知足院古墳)に到達。古墳群最大の径20mの円墳で石室の全長は11m、玄室の長さが5.1m、同幅2.3m、羨道の長さ5.9m、同幅2mで比較的大きな石材が使われていて、吉備の三大古墳に次ぐクラスの古墳とされている。吉備の有力豪族・賀夜氏の古墳と見なされている。悲しいかな懐中電灯を忘れたために中の様子が分からない。デジカメに映して再生画像を覗くと奥壁に石仏二体が祀られているのがかすかに分かる。知足院の茶堂があったところらしいが台風で倒壊して今は無い。→心配であった下りの坂道は案外通りやすく隊列は長く伸びる。八十八箇所開眼供養塔碑の前に出る。文政九年(1826)二月、国分寺証旭和尚筆の説明板あり。→途中古墳一基。坂道もなだらかになり雑草の茂みを抜けると分岐点の標識の立つところに戻り着く。土手道に出る。視界が広がり、もう雨もすっかり上がり、妙見上池の堤に立って山頂を望むと、くっきりと円錐形の美しい姿が望めた。池畔から山裾に広がる紅葉も往きの時より美しい。→正午を少し廻ったが、湿った堤防に腰を下ろすわけにもいかず、八幡神社まで進んで休息昼食にすることにする。→雨の中を急いで上った往路では気付かなかったが、畑には真っ赤に熟した柿の実が鈴なりに垂れているのやイノシシ捕獲の鉄骨の罠が置かれている風景に気付く。今年の秋の天候のなせる業か、悲喜交々の終幕かと考えさせられる。→八幡神社の鳥居をくぐって石段の坂道に差し掛かる頃には、昼時を過ぎた体にはきつく、疲れを訴える声も出る。隋神門を潜って拝殿に参拝する。格子戸に施錠がしてあって中には入れない。殿内にカラオケの設備のあるのを見つけて、勝手な思いの声が出る。→待望の昼食となる。実施連絡不十分で軽食の持ち合わせないものもあって譲り合いの食事。→食後各自境内散策。水攻めのとき宇喜多軍の本陣になったこの社は、境内はかなり広くお城の曲輪を思わせる高低があり、地元六か町内の鎮守神として氏子の範囲もかなり広域。つい先日のこと奉納の発句額の顕彰・境内の整備などをして信仰厚き社に祀る動きありと聞いたところだ。→八幡宮の正面鳥居を通って落ち葉の坂道を下る。手押し車が通る側道付きの参道にしてあり、成る程と心温まるものを感じさせられた。→和井元下に出て城址に向う。途中“僧文英・福成寺”が話題になる。13時過ぎ、城址駐車場に無事帰着。 次回のコース・日時を確認して解散。 行程は約8.5km。

いささか疲れを感じた今回の雨中のウオークではあったが、古墳の多さとその古墳を後世に信仰の場として引き継いでいる住民の生きざまを体感して、地域でも余り知られてない吉備の文化の源流に接し、ウオークの醍醐味と充実感のようなものを覚えた。

 
115日 岩屋・鬼ノ城コース

 上天気の紅葉狩りを期待していたのに、悲しいかな7時過ぎから予報通りの雨が降り始めた。昨日まで続いた高温な異常気象の結末がこれかと悔しい限り。急遽連絡をとって中止にする。来月の<大崎・三上山霊場めぐり>の霊験を願うばかり。来月に幸せあれ!
(写真は、昨年の未掲載のものを参考までに紹介させていただきます。)

 

10月1日。 倉敷市真備町箭田・岡田方面コース

 8時30高松駅集合。参加者は幼稚園児の三垣君と会員家族の24名。心配していた天気は私たちのウオークを応援するかのように絶好の秋日和になる。856分高松駅出発。総社駅で20分余の待ち時間で井原線乗かえ、車中に入ってびっくり。聞く所によると九州新幹線と同じデザイナーによる車両らしく「ゆめやすらぎ号」は対面する座席の前にテーブルがあって、アットホームな気分で旅が楽しめるようになっている。一行のものは初めてのものばかりで、広がる田園の景色を俯瞰しながら、車中歓声頻り。→吉備真備駅下車して、駅前の歓迎門を潜って北進。モダンな真備支所の前を通って旧山陽道・国道486号線を西進。→約束の時間を少し過ぎて、真備記念館の前でウエルカム真備ガイドの有岡さんに会い、本日のガイド内容について相談の後入館。真備公の功績・人物像を資料、展示物を見ながら解説してもらう。→中国式の公園まきび公園地内に入り、門窓を背に記念写真を撮る。六角亭、中の池、下の池、記念碑等の説明を受ける。→続いて真備公の菩提寺吉備寺に移る。→時間の都合で「吉備様」には登らず、たけのこ茶屋・竹工房前を通過して県道54号線に出て北上。→古代吉備の国を追想しながら700m余歩いて、県下三大巨大古墳の一つ箭田大塚古墳に着く。開錠してもらって古墳内部に入り説明を聞く。こうもり、蛇の脱け殻にも迎えられ奇声が出る。→古墳を出て有岡さんと別れる。有名な箭田の孟宗竹の竹林の中を通って、ゴミ焼却の余熱を利用しての温水施設「交流館」に寄り、トイレ休憩と昼食を摂ることにする。施設の一角にある遊園地の広場の木陰に分散して弁当をひろげる。→「交流館」を急ぎ出て薗の地内に下ったところで遅れた者からの送信あり、点呼不確実が分かり、行進ストップとなる。→次のガイド香川さんに遅刻の連絡を取って出発。遥か遠く次の目的地「ふるさと歴史館」を視界におさめながらの行進ではあったが、以前の旧道は通行不能になっていて、大きく道を違えて岡田地内にあるふるさと歴史館に到着。ガイドの香川さんに遅刻をわびて館内に入り説明を聞く。横溝正史、岡田藩、藩主、家老、古川古松軒等々。→歴史館を後に大池と岡田小学校の間の小径を通って、横溝正史疎開宅に向う。「八つ墓村」、「濃茶の尼」のモデルになったといわれる石造の濃茶のほこらの辻を過ぎる。横溝正史疎開宅内の枯山水の庭園、当時のたたずまいのまま保存されている屋内の様子、写真や展示物に就いて説明を聞く。予定していた帰りの電車の時刻が刻々と迫る中で、香川さんには失礼ながら説明の腰を折ることになってしまう。→追うように見送ってくださる香川さんの宅前で礼を告げ別れをする。→岡田藩自慢の新道を川辺へと急ぐ。本格的なウオークらしい足取りになる。「岡田藩に過ぎたるもの三つ」の中の一つ「岡田新道」はさすがに幅広く、一直線に続く。小藩ながらこれだけの道はりっぱとしか言いようが無い。地元は顕彰する術は無いのだろうか、と金田一耕助探偵イベントと重なってくる。→川辺では藩主の菩提寺源福寺の横を通って南下500m辺りで井原線川辺宿駅の発車時刻に間に合わないことに気づき、急遽清音駅行きに変更。旧川辺宿街を通って本陣、脇本陣跡を訪ねることも計画はしていたものの時間の都合で諦めていただけにあるいはと思って通過するが確認できず。高梁川の土手につき一里塚跡の碑を見る。かっての渡船場の跡。現在は歩道橋として使われている旧川辺橋を渡って清音駅に出る。伯備線、吉備線と乗り継いで高松駅に帰着。時間・トイレの問題で反省点もあったが、一万八千歩、約11kmのウオークは無事終了。好天に恵まれ楽しい一日であった。次回を確認して解散。

 
 

93日 、大平山コース。

 念願であった大平山登頂は大型台風12号岡山県直撃のため前日中止とする。

岡山地方気象台の予報によれば「3日は雷を伴って1時間に50_の非常に激しい雨が断続的に降る見込み」とのこと。今年のニューコースとして魅力の地だけに中止は大変残念だが止むを得ない。

かつて「高松城水攻めの毛利軍の陣城」を俯瞰する写真を撮りに登った時の爽快さは今も忘れられない。史家永山卯三郎氏によると「山々は皆盆石を點せり、実に絶景なり」の地。又、「大平山は賀茂神社の都城(おくつき)」とも記されいる。山頂近くに散在する伝兵衛塚遺跡は弥生時代後期の高地性集落遺跡とも言われている。この地を棲家にしていた古代人が羨ましくも思われるが、現にこの地を開墾して牧場経営から野菜作りをされている立田の渡辺さんはイノシシ被害で困られてはおられるが、この地の魅力に惹かれて営農にがんばっておられるのだろう。会として近い将来この地訪問の約束を果したいものだ。

来月のウオーク地は倉敷市真備町、天候に幸いされることを願うばかりだ。



 

86日。惣爪コース

 午前7時加茂小集合。広島原爆の日、66年前の少年の頃の思い出が過(よ)ぎる。立秋を2日後に控えての今朝ではあるが、台風9号が沖縄付近を北上している関係か爽やかな朝。新加入の犬養さんを含めて総勢18名。準備運動の後、本日のコースを確認をする。昨年は、9月実施で吉備の中山山麓の「真如院まで」の延長コースをがんばったが、熱中症患者の頻発している今夏のため、安全を図って惣爪地区内の範囲にとどめることにする。

→校門を出て足守川左岸の土手下を南下。県道真金清音線下の隧道を抜けて土手道に出る。足守川の清流と緑の田園に続く土手道はウオークの醍醐味を十分味合わせてくれる。土手を降って田圃道を国指定史跡惣爪塔跡に着く。奈良時代の吉備の覇者「津氏」の研究が俟たれる。→南行200mほどで御野立所に着く。「龍蹤(りゅうしょう)表彰之碑」をバックに写真を撮る。丘を下って公民館分館前から吉備路自転車道を東進。→一昨年ジャンボタニシの卵に唖然とさせられた光景は今の所ない。東惣爪の住宅地に入り北進して文敞真染(ぶんせんしんぜん)和尚墓所に至る。寂厳(じゃくごん)和尚に師事し、宝島寺を継席されたこの高僧の名は生誕地の惣爪では十分伝承されてない。→氏子副総代の脇本氏を訪れ、惣爪八幡宮に着く。脇本氏によると、「9月1日(木)NHK『国際放送』で海外に日本文化を紹介する番組で、拝殿にある和算の額が紹介される」ようだ。和算については、今日では知る人が少ない。ここの拝殿には二面の扁額が残されている。境内にある信教庵牛神碑が話題になる。→旧山陽道に出て轟き橋に至る。いつもながら川幅が狭められ、昔日の面影は無い。→街道筋の家からはわっわれ一行に声がかかる。一等水準点。題目石。→寺子屋の跡地。塾長の上人のことから、洞松寺の訪問の話に発展する。→惣爪コースを経て帰路に着く。蓮休寺の脇を通過中に相賀家の墓碑を見かけて立ち寄る。→早稲田の稲穂は稔って早くも収穫期に入っているようだが、雀の被害がひどい。→小学校の校庭ではソフトチームのちびっ子たちが炎天下で練習に励んでいる。

9時15分無事帰着。歩数840歩弱、行程約5km。次回の大平山コースの確認をして解散。運動量はやや不十分ではあったが、感想としては今回の実施内容は概して良好。


 

72日。  新庄下・津寺コース

 前日の雨も上がり、気持ちよい朝を迎える。このコースは、昨年雨のため中止しただけに殊の外嬉しい。午前718名が集合。体操の後、本日のコースを確認して出発。→栗原邸。いつもながら邸内の清掃をしていただいての歓待。思わず深謝で頭が下がる。枯山水の庭園・遺されていた文書の説明等を受ける。→戦時中の江田地区の誤爆を話題に真金清音線を東進して黒住地区に入る。→甫崎天神社。参拝の後、記念写真を撮る。→向場の山裾を造山駐車場に帰着。→トイレ休憩の後、古墳後円部に上がり、墳丘の形状・戦国時代の陣地遺構等を確認。→前方部の遺構・石棺。→地獄田沿いに自転車道に出る。→前回の見学地車塚古墳などを話題にする。→影法師公園。「太陽の道」についての解説文を読む。→旧山陽道を通って、都窪郡誌記載の「鞍懸け岩」について知る。→千足装飾古墳。本日午後、石障修復保存のための搬出調査の現地説明会が行われる。→造山古墳駐車場に帰着。次回の日時・コースを確認、10時過ぎ解散。歩数計から12,000歩、約8余キロの行程。

 

6月4日。  新庄上コース+赤浜地区

 例年より早い「入梅」が報じられてはいるが、本日の予報は晴天。集合の8時頃は、いわゆる「朝曇り」、天気の心配はない爽やかな初夏の風薫る朝。参加者20名。体操の後、コースの延長を相談して出発。公民館から中村橋を渡って足守川右岸を北上。中村橋緑地は明日の宗治祭協賛のソフトボール大会の会場として準備がなされている。先日の大雨の名残も消えた穏やかな川面をヌートリアの泳ぎらしき漣が横切る。→左手の土手下には祭神を浦凝(うらこり)別命(わけのみこと)(吉備臣の祖御友別の兄)とする遠崎(おんざき)が静かに佇んでいる。西に広がる新庄沖の田圃は、昨年の高温障害による不作の反省から田植えの時期を遅らせている農家が多く、まだ殆んど田植えは始まっていない。→庚申橋から岩崎分水堰に至る土手は以前とは見違えるほど不法投棄のゴミがない。地域の環境整備の努力に胸が熱くなる。分水所の竣工は昭和25年秋ではあったが、堰上手の地域の排水改善のための工事を経て昭和42年になって現状のように諸設備が完成されてきた。 →分水所の中土手から小橋を跨いで不動明王の磨崖仏像の前に立つ。寛永年中(16241643)泉州石工の作とも伝えられている。→岩不動の隣に真野竹堂・高塚庄屋小野氏寄進の観音菩薩像が二体高所から迎えてくれる。→観音菩薩の祀られている観音巡拝道を辿り庚申山山頂を目指す。高塚参道の左右に続いて祀られている菩薩は西国三十三観音霊場に準じている。故平松先生の建てられた第十一番准胝観音像の説明板は、今年もきちんと像横に立てられている。→720余mの山頂の空気はいつもながら美味しい。妙見宮を経て毘沙門天像前の空き地に腰を降ろして休憩をとる。→休憩の後、南の正面に廻って題目岩・如来寿量品一節の刻文・大梵天宮・明星宮・鬼子母神社・岡田屋熊治朗寄進の石猿・鐘楼・帝釈天宮・前堂・御通夜堂跡を経て大門坂を越えて赤浜へ向う。→庚申山赤浜参道にも観音石像が祀られているが普段その参道は使われていないので一番麓にある千手観音・馬頭観音・十一面千手観音とそれに並び建つ祭礼の高灯篭に寄る。→赤浜の町中の旧道を通って国道429号をわたり赤浜公会堂前を過ぎ春日宮を経て八幡宮・玉依姫神社と赤浜の三社宮を拝し、赤浜池ノ内大師堂を経て、総社テクノパーク団地に入る。→コアテック前の団地道を登って折敷山古墳に着く。墳丘には登らず説明板を読む。→オーエム機器の南斜面に上り、小造山古墳踏破を敢行する。岡山大学が調査していた三年前の時とは違って、生い茂る潅木の隙間を縫って南進。→古墳の現状を確認するゆとりも無く行列をつくって進むと、幸いなるかな運よく予測どうりの新庄上の川田病院の畑地に出る。→斜面を下って進むと前面に、伐採によって墳丘の顕れた造山古墳の雄姿が見える。県道に出て東進僅かで新庄車塚古墳に着く。古墳を背に記念写真を撮る。→大正時代に拓かれた新庄沖の耕地整理を思い起こしながら山根法華宗本隆寺に着く。予告していたのでお寺のお出迎えを受けながらも時刻を気にしての寸見通過になってしまう。→続くシルバーセンターではトイレを使わせてもらう。→庚申橋を渡り足守川左岸の道を南下して上賀茂神社に至る。いつも氏子の奉仕で境内はきれい。→神社の裏門から高速道下の隧道をくぐり、加茂用水路に沿って11時半過ぎ公民館に帰着。12,650余歩、8km弱の行程には起伏が多く運動量としては相当なものであったと思う。次回のコースを確認して解散。

 
 

56()  岡山城・後楽園・県立博物館コース

 高松駅830集合。暦の上では「立夏」の日。瀬戸内地方は南から温かい空気が入り込み平年より暖かい。前線の影響で曇り空ではあるが、気持ちのよい朝となった。金曜日に変更したため、参加の都合がつかなかった人もあって総勢19人。856の電車に乗り岡山駅東口から駅前の桃太郎像の前で、ガイドマンの皆木・吉田のご両人に迎えられる。キャンディーを使って班分け。桃太郎大通りに沿って東進。通りには20体余の像が点々と配置されているという。路面電車やバスが活気よく通過す。西川筋に出て、大阪城築城時に残された通称「残念石」に会う。再び桃太郎大道り沿いに柳川筋に出る。街路樹が新緑に覆われ、さわやかさが一入。交差点を渡って北上して本涌山本行寺に着く。焼夷弾の傷跡が戦災の痛ましさを否応なく思い起こさす。

さらに東進して、岡山藩藩学跡・浦上玉堂碑・土光先生記念苑・徳山弓道場・国吉康雄生誕地跡・岡山神社・甚九郎稲荷・しろちか広場・石山公園・犬島巨石を見て旭川土手を下る。

岡山城へは廊下門を潜って城内に入る。昨日の55日には子供たちのイベントがあって賑わったようだが、今日は人影が少ない.40分ばかりかけて城内遺跡の主だ立ったスポットを見学する。廊下門を潜って城外に出て次の見学地後楽園に向う。

月見橋を渡って南門から入園、料金140円。時刻は1145、早目の昼食を桜林の木陰で先ず摂る。食後1245、昨年と同じ場所で記念写真を撮って、二手に分かれて園内を見学。平日のため小学生の遠足入園が多く活気が漲る。滴る緑の中に点々と咲く白や紅のサツキの色も鮮やかに美しい。1345見学を終え小休止の後、園外に出て、県立博物館へ。

入館料120円。館内は特別陳列として、重要文化財「宝福寺文書」・後楽園の宝物」の展示物の他に「備前焼名品」「岡山の刀剣」『五月人形展』「古代吉備の考古資料」等が展示されていたが、中でも複製品ながら、楯築の旋帯文石・小型旋帯文石・高塚遺跡出土の銅鐸・三角縁神獣鏡・弧帯文石・馬型帯鉤・埴輪・特殊器台・千足古墳の石障などが展示されていて、予期しないチャンスに遭遇。欣喜雀躍、お陰で岡山駅までの復路の足取りは軽い。岡山駅326の電車で高松駅に無事帰着。次回のコースを確認して解散。

岡山駅前からの往復歩数は18000歩余り。風薫る新緑の中を行くウオークは満足の極み。 
 

42日  吉備の中山を巡るコース

 午前9時。吉備津神社駐車場木堂像前に集合。参加者23名。例年より桜の開花が遅れて期待していた花見にはならないのが少々残念だが、今年度のウオーク開始。体操、コース確認をして出発。→「まかねふく 吉備の中山 帯にせる 細谷川の 音のさやけさ」。吉備津神社の回廊を南下して細谷川沿いの遊歩道を上る。鳴き慣れのない鶯の声を聞く。→古代吉備文化財センターでは学芸員3名の方が待ち受けてくれる。今期の特別展は「国分寺の発掘調査」であったが、その他館内数多くの地域ゆかりの展示物の説明を聞く。→黒住教本部到着。宝物館に入らせてもらう。鈴木治氏の遺作展・教祖の真筆「百人一首」・東郷元帥の書軸・数多くの陶器などを拝観。→神道山の桜の開花が少ないため、見晴らしの利く御陵下の広場に予定を代える。適当に分散して持参の弁当を開き歓談。食後、広場にある案内看板を背に記念写真を撮る。→4世紀初頭の築造とされる大吉備津彦命の御陵「吉備の中山茶臼山古墳」に上る。→陵墓の側道に沿って八徳寺を下に見ながら穴観音に着く。試しに一人が「穴」に耳を当て観音の御告げを聞くが声なし。→鏡岩八畳岩ダイボウの足跡へ。今は水のない空堀。説明板から「ダイボウ」とは「大坊」の意だと知ってひとまず納得。→落ち葉の積み敷く坂道を軽快に下る。有木の別所跡にある藤原成親の墓前で成親の非業の死に涙す。→迂回して丁度成親の墓の下あたりのところにある(ほら)(がい)の霊水に着く。積み石の洞穴井戸に清水が湧いている。あたりが平坦な広場になっていることから、かつての高麗寺の寺域で使われていた霊水の井戸ではなかろうか。初めての訪れなので想像が拡がる。→下って高麗寺山門跡。残されている礎石列から、当時は広大な寺であっただろと想像される。→上手から福田海境内にある鼻ぐり塚に寄る。何万とも思われる「鼻ぐり」が、古墳の墳丘に供え置かれている。前面の古墳の入口には本尊の馬頭観音が門番のように祀られている。内部を覗けないのが残念。→突然180号線を行く消防車のサイレンの音。一同騒然。→最後の訪問ポイントの両国橋の碑へは半数のものが行く。→引き返し自転車道を通って駐車場の木堂像前に帰着。万歩計によると歩数11,500余。曇り空ながら長閑な日和に恵まれた春のウオーク日であった。