平成 23 年 7 月 14 日(木) | |
場所 | 山陽学園短期大学附属幼稚園 |
出演 | 旭東・平井地区の戦災記録を残す会ほかの8人 ( 主催 東山公民館) |
聴取者 | 年長(5歳)の園児約30人、 幼稚園長・教頭先生・担任先生 |
ねらい | 体験談を聞いて「命の大切さ、人と人の争い・けんかは悪い事と知る、 物を大切にする」などについて考える。 |
内 容 | ||
今から66年前 私達の日本は戦争をしており、 ここ岡山市においてアメリカ軍の飛行機が爆弾を落とし、 私達の家が大火災となり 約1800人の人(子ども・老人・お父さん・お母さん)が焼け死んだ。 |
||
旭東・平井地区住民(当時 9歳〜20歳の方)が見 そして経験した 岡山大空襲(1945年:昭和20年6月29日)の悲劇について 「紙芝居形式(イラスト画7枚)の1本のストーリー」にして、 夫々を出演者が説明した。 なお、本会は平成20年から毎年開催しており、今回が第4回目の発表になりました。 |
||
演 題 | 出演者 | |
1 | なぜ、戦争、岡山空襲が起こったのか | 妹尾敏夫 |
2 | 空襲前の家庭の様子 | 内田武宏 |
3 | 戦時中の生活の様子(バケツリレー・竹槍・灯火管制 防空壕に避難・学童集団疎開など) |
近藤紀子 |
4 | B29が爆弾を落としている時 | 内田義明 |
5 | 避難している時の様子(女性のもんぺ姿・防空頭巾) | 森 花枝 |
6 | 被害の様子(家は全焼・道端に死体が・・) | |
7 | 一夜が明けた岡山の街の様子 | |
8 | 空襲しばらく後(終戦後)の生活 | 浅田京子 |
9 | 今後の生活などについて考える。 | 内田育子 |
10 | 岡山市近郷から見た岡山空襲 | 木村弘司 |
舞台全景 |
|
君たちのお爺さん・お婆さんが生まれた頃です 「66年前」 これくらいの年月が過ぎました (昭和20年・21年と毎年を書きました) 妹尾が話す(当時9歳) |
|
園児たちの聴取者 《幼稚園児には難しいと思いましたが・・》 みんな真剣に聞いて呉れました |
「女性は皆この服装で暮らしていました」 お手製の「もんぺ」と「防空頭巾」で・・・・ 森さん 左(当時20歳)と 浅田さん |
出演者(空襲体験の語り部) 会場の舞台にて |
|
《なぜ、戦争、岡山空襲が起こったのか》 「この項目の説明は欠かせない!」 ・・・が、ここを理解して貰うのが非常に難しい! 妹尾頑張りました。(当時9歳) |
岡山市近郷(現在の南区浦安町)から見た 「空襲はとっても綺麗な花火の様で 市内方向は(火の海)だった」 木村さん(当時10歳)の話 |
(後列)加藤教頭・地域の近藤・浅田・内田夫妻・妹尾・赤木園長 浅田・森・内田・木村 |
平和の象徴 「すいれん」 の花 |
|
t,senoo 2307 |