特    集 幡 多 学 区 電 子 町 内 会

 6月29日、62年前のこの日未明に岡山はB29戦闘機により空襲に見舞われました。
この大惨事を忘れず、後世に伝えようと各地で色々な行事が行われましたが、そのひとつとし
て岡山大学キャンパスに残っている陸軍第十七師団の痕跡をたどる企画が、高島公民館と
東公民館の合同講座で実施されました。
午前9時30分に集合したのは25名で、“岡山の戦争と戦災を記録する会”の代表 片山和良
氏の説明で約2時間岡大構内を見学しました。終戦当時そのままの状態のもの、改築され保
存されているものなど様々ですが、その当時を回顧するに十分な資料でした。
                                        (文・写真は石井俊治)
       片山氏 から説明を受ける参加者達


1.旧陸軍第十七師団司令部で、平成15年にその一部を保存し移築、改修された建物です。戦時中は召集令状(通称「赤紙」)を発行していました。


2.大隊本部の建物ですが、右横には工兵第十聯隊 (れんたい)の炊事場や、浴場があり、当時の赤煉瓦で改築して、現在岡大の考古学資料館として使用し、建物を保存しています。


3.野砲兵の兵舎でしたが、昭和20年に広島陸軍兵器補給廠岡山分廠の倉庫として使用され、銃器・砲具・弾薬・通信架橋資材などを、保管・管理していました。


4.工兵第十大隊橋梁爆破演習場跡で、煉瓦造の橋の模型の一部が残っています、ここで当時は橋を爆破する演習が行われていたといわれていますが、最近の調査では、爆破の痕跡は確認されなかったとしています。


5.昭和13年・寺尾部隊が日支事変(中国侵略戦争)出征を記念して建てられたもので、この場所は工兵将校集会所の庭で、池もあり軍の観賞用のものでした。


6.第十七師団司令部・衛兵所で、軍隊の軍務違反者に対して、食事を減らしたり、板張りに正座させたりして処罰を与えていた建物で、今なお残っています。


7.軍人勅論の碑。明治天皇が明治15年に全軍人に対して、「忠節・礼儀・武勇・信義・質素」の5項目を徹底させようと発布したものです。
碑は、勅論発布50周年を記念して、昭和7年4月に兵器本廠の関係者一同が建てたもので、砲身形をしています。 しかし、敗戦時には文字部分は撤去されましたが、のちに復元されています。
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