歴     史 幡多学区電子町内会

中 島 城 跡
   岡山市中区中島で、現在の竹田中島橋東詰めあたりにあった“中島城”は、15〜16世紀すなわち室町から
戦国時代にかけて存在したと考えられている。
 城の規模は、ほぼ50m四方で、周囲を巾5m程度の堀で囲っていたことが確認されている。堀で守りを固め
ていた館風の城であり、規模は小さいが当時はこれも城と呼んでいたようである。
 城を建設したのは、この地名にもなっている“中島大炊助(なかしま おおいのすけ)”で、明禅寺合戦では、
宇喜多方につき明禅寺城を奪った三村勢を孤立させるなどの活躍をしている。しかし、中島大炊は沼城での
戦勝祝いの帰りに刺客により殺害されたと言われている。その後、城主大炊の子孫は宇喜多氏、池田氏に
代々仕えて来たと伝えられている。
 現在は、道路の新設により実際の城跡より約150m東に移設して、八幡宮と地蔵尊を地元の人々で祭っ
ている。
・/
   中島城の想像図 (岡山県古代吉備文化財センター発行の「高島のむかしU」より)
 整備されている中島城跡  城跡に祭られている八幡宮
歴史メニューに戻る
トップページへ戻る