歴     史 幡多学区電子町内会

正 木 城 跡
 ・  岡山市東区中川にその昔あった正木城は、百間川の流れが東から南に大きく変化する内側の正木山
(高さ56m)にあり、城の大きさは東西27m、南北47mあったという。永禄10年の明禅寺合戦のあと、
正木山城主岡但馬守が御野郡船山城主となり、後に天正17年3月正木大膳正康が入城している。ここ
の地形からすると、児島湾を望み、また東備平野が一望でき中国路の要衝であったと思われる。しかし
宇喜多直家が2千の兵により、城を包囲し攻め滅ぼしたといわれている。
 また、正木山東の百間川の河川敷には、落城前日に城主の内室が姫君を抱いて馬で正木山を駆け
下り、井戸に身を投じた。その後、供養したところ、井戸に櫛や笄(こうがい=女性の髪飾り)が浮かんだ
ことにより、“笄の井戸”と言われ、今もその井戸を見ることができる。
                     正木城跡の正面登り口
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 東側(百間川)から見ている正木山  今は無き正木城天守跡の広場
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 城跡の正面の登り口にある鳥居  百間川河川敷にある“笄の井戸”
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