| 幡多廃寺は、岡山市赤田130番地の田んぼの |
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幡多廃寺跡にある塔の心礎 |
| 一角に、野道に沿って露出している大きな石を中 |
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| 心に構成されていたと推測されている。この石は |
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| 一辺が約7mの正方形に近い塔跡で、その中央 |
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| に県下第一といわれる巨大な塔の心礎がある。 |
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| 塔心礎のある田地が赤田字塔元という地名であ |
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| ることから、原位置を動いていない模様であり、そ |
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| の南の田を”塔の前”を呼んでおり、寺は規則正 |
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| しく南向きであったことが分かる。 |
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| この寺が秦氏の氏寺であったという説があるが、 |
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| 心礎や出土瓦が奈良時代後期を示しているため、 |
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| 氏族の氏寺であるとは決めがたい、しかし規模か |
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| 塔の心礎(国指定史跡) |
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ら推測して、ここの平地に五重塔、金堂、講堂、僧 |
| 房、その他を配した220m四方の寺域をもった伽藍 |
| であったことは事実であろう。 |
| 塔心礎は、花崗岩で出来ており表面の長径249p、 |
| 露出部分の高さ90〜120pで、表面に3pの窪み |
| があり、さらに中央に口径43p、深さ18pの柄孔 |
| (そぼあな)がある、大きさから五重塔の心礎ではな |
| いかと推測されている。 |
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| 文:「幡多2000年の歩み」より引用 |
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