橋本町の紹介
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 現在は京橋町の一部であります、橋本町内会は総世帯数35世帯のほんの小さな町内会です。
旧橋本町は宇喜多秀家が岡山城を築城したときに最初に作られた商人の町でした。
 当時は陸路の交通よりも海上の船による輸送が主体でしたから岡山の物資輸送の要として明治に鉄道が開通するまでは非常に栄えた町でした。
 鉄道が開通してからは物の動きが鉄道にとって変わられて急速に寂れてゆきましたがそれでも昭和30年後半まではまだ京橋の下手から小豆島とか豊島等近隣の島への航路が運行され特に夏の海水浴シーズンには賑わったものでした。
 しかし旭川の川底の水深が浅くなり船の運航に支障が出てくるようになりついに航路そのものが廃止となり現在は昔の面影がまったくありません。

 しかしその片鱗は史跡の紹介のところにもありますように岡山の道路元標がつい最近まで京橋のたもとにあったり尋ね人の標識とか江戸時代の道路標識が今でもあります。

京橋渡り初めの図
(岡山市立中央図書館所蔵)
この画像は岡山市立中央図書館のご厚意で貴重な物を提供していただきました。
古地図 古地図
岡山市の古地図(同じく岡山市立中央図書館所蔵の物です。右側は拡大で西中島、東中島が見えますし、中央の橋が京橋でその右下が橋本町です。)

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