京橋警鐘台についてと文化財申請について−その三 |
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鋼材など昭和初期以降のものとは一線を画す特徴をもつものである。また、周辺は登録有形文化財「京橋水管橋」、選奨土木遺産「京橋」をはじめ、旧岡山港(京橋荷揚場跡)の名残である石段や斜路などが残る岡山の近代化を代表する景観のひとつとなっており、警鐘台も京橋界隈の歴史的景観の中で占める位置は大きい。特に、大正14年刊の『萬納屋利吉傳』や昭和9年刊の『世のため人のために−感激実話全集−』に納められた一文にみるように、苦しい生活の中私財をなげうって慈善活動をする坪田利吉の美談とあいまって、岡山で最初の大型の鋼鉄製警鐘台のインパクトは当時非常に大きかったようである。今日、警鐘台としては機能を失っているが、懸垂幕を掛ける塔などとして活用されており、「万納屋さんの火の見櫓」として地元の愛着も深い。 注 ※1 移築は主脚の最下端と支脚の高さ40cm程度の部分で切断され行われており、現在主脚は基礎か ら出る補強材状の部材、支脚は同じく基礎から出る5mm×50mmの山形鋼と溶接されている。 ※2 山陽中国合同新聞 昭和12年6月16日付け記事(坪田利吉の引退について報じた記事)に「石関町 東署横の警鐘台を始め岡山市近郊に十二台を寄附」とある。 ※3 「岡山市消防組第一部六号」「大演習記念/発起者/(部長以下団員12名の氏名)/昭和五年十月吉 日」 ※4 京橋警鐘台、南方警鐘台では山形鋼どおしの接合部、ブレースや筋交いの取付、筋交いの交点な どすべてリベット止めとなっているが、主脚の接合部など一部にボルトを使っているものがある。 建築年代のわかるものがほとんどないため確証に乏しいが、これも新しい警鐘台の特徴のひとつと いえるだろう。 参考文献 飯沼龍遠 1925『萬納屋利吉傳』 (自費出版書であり刊行年など書誌情報がないが、利吉が「今年五十五才」とされていること から、大正14(1925)年の記事と思われる。) 宮森朱蘭 1934「岡山市の誇り萬納屋のリキさん」『世のため人のため−感激実話全集−』金星堂 蓬郷 巌 1977「町の聖者「万納屋」坪田利吉」『岡山の奇人変人』岡山文庫74 日本文教出版 片山 亨 2002「町の聖者・万納屋坪田利吉」寺史編纂委員会編『蓮昌寺史』岡山蓮昌寺 |
(岡山市教育委員会文化財課から頂いた資料を原文のまま載せています。) |