岡山市防災まちづくり学校第7回目−−−−−−−−−−12月12日
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岡山市防災まちづくり学校第7回目です。
神戸市、人と防災未来センターへの視察を実施しました。
神戸震災 神戸震災 神戸震災
神戸震災 神戸震災 神戸震災
11:00語り部による被災体験談

神戸震災かたりべ 芦屋市役所の職員という方が大災害における市当局からみた対応の仕方という観点から語られました。
 神戸の北区住まわれて芦屋まで25kmを毎日車で通っていたそうです。地震当日はもちろん自宅で震災に遭われたそうです。朝5時46分にドンという縦揺れとともに震度7の激震が10数秒間続いたそうですが、和箪笥の傍で這いつくばったまま一歩も動くことができず、揺れが収まるまでそのままの姿勢だったそうです。幸い怪我もなく、息子さんも自宅にいて無事だったそうで、直ちに市役所へ出勤して地震対策の仕事をしなければと、芦屋まで歩いて出勤したそうです。
 出勤すると助役がすでに出てきていて、災害対策本部を立ち上げてすでに4つのことを指示していたそうです。それは
芦屋市の対策本部による救助数
掘りだした人 その内助かった人
1日目 80人 62人
2日目 22人 5人
3日目 19人 0人

1.消防と市の職員と協力して人命救助
2.医師会へ連絡して救護所の設置
3.お寺へ連絡して遺体の安置所
4.葬儀社へ棺桶の手配とドライアイス等の手配
 以上がすでに実施されつつあったそうです。直ちに彼も人命救助に出動しまして、右表のように救助したそうですがこれでも芦屋市の対策本部による救助は全体の2割にしかならなかったそうです。それではその他の8割は誰が助けたのでしょうか。ここが一番重要なところですが、それは一般市民のそれもご近所同士のお互いの助け合いで救助されているのです。それからもう一つ表からも分かるとおり直ちに救助した方が助かる率が高いということです。
 救助が一段落すると、次は食糧の確保ですが、芦屋市は市長さんが奈良県の知り合いの市長さんに個人的に頼んで送ってもらったそうです。毎日おにぎりが2万個届いたそうです。
 次は遺体の収容が大変だったそうです。芦屋市で300名以上の死者がありましたから、火葬には遠くは滋賀県の火葬場まで運んだそうです。
 次に困ったことは避難所でのトイレで、便所がすぐに一杯になりくみ取りをしようにもバキュームカーがなく、処理に全国からバキュームカーを集めたそうです。

被災者に困ったことはとアンケートを取ったところ
1.トイレの流す水がない。
2.飲み水と食料が足らなかった。
3.電話の不通(今は171番の利用ができる。)

役に立ったことは
1.懐中電灯
2.携帯ラジオ
3.風呂の水、学校のプールの水(主にトイレ用に使ったそうです。)
11:40「1.17シアター」
 「1.17シアター」による、地震発生により崩壊していくビル、家屋、高速道路、鉄道などの様子を映像と音響で体験しました。目の前で大きなビルの1階全てが瞬時に潰れてしまうところとか、ビルが倒れていくところとか、家屋が瞬時に押しつぶされたようになってしまうところとか、高速道路が波打ち、また崩壊していく様は作り物とはいえ、実際にあったことだけに、その迫力に圧倒されました。
 阪神・淡路大震災の死者6000余名のほとんどがこの最初の一撃による崩壊の犠牲者です。

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