おじゃまします・・・・   第13弾
<このページでは、原町内にお住まいの方を訪ねて、日頃の生き生きとした活動を紹介します>


  石田 博文 さん
 
     【室戸台風の被害状況を後世に】の巻
 

 今回は磯尾にお住まいの 石田博文さんをお訪ねしました。

 石田さんは昭和7年、当町内の磯尾谷で、7人兄弟の長男として誕生されました。

 お父様は学区の連合町内会長として、地域に貢献された方のご子息ですので、若い頃から地域のコミュニティに骨身を惜しまず、娯楽の少なかった戦後は盆踊りから田舎芝居まで小道具も自分たちで作り、若者のリーダーとして活躍された方です。

 学生時代は高等学校再編成の最中で高校生としては6年間を過ごした事になったそうです。
 昭和26年、当時の建設省(現在の国土交通省)へ入省をかわきりに、昭和47年、本州四国連絡橋公団で瀬戸大橋架設工事を工事長として指揮され、昭和61、年瀬戸大橋の維持管理を行うメンテナンスの会社に初代所長として勤務、その後民間会社に移り、平成19年4月に退職されました。
 現在のお住まいは昭和62年に新築されたそうです。


 
   
     瀬戸大橋架橋工事の時の写真         

 
   つり橋の塔の頂上で作業の指揮をする 
   石田さん

             斜張橋の工事現場で 
             左が石田さん





この度、
  
百間川沿川における 昭和9年9月
 室戸台風災害の記録
  
〜語り継ぐ大水害の脅威〜
を発刊されました。

 室戸台風で旭川が氾濫し、岡山市内が壊滅的な被害を受けてから70年目の節目の年に当たり、〈百間川研究会〉として建設省のOB達が中心となり、被災者の証言を集め出版したものです

 水害を受けた当時の様子を知る人が少なくなり、貴重な体験が失われるとの思いから被災者の生の声を聞き取り、一冊の本に残すため石田さんも研究会の一員として尽力されました。

 原地区でも、堤防が決壊し橋が流され軒先を没する程の水量の中、屋根の上から手を振って助けを求めていたが濁流に呑み込まれてしまった…等々地元の数人の体験者から当時の生々しい様子や体験を聞き取り、被災写真も載せてある貴重な記録誌です。ご覧になりたい方は牧石小学校、水川医院に常備してあります。


この本の中に原地区の被災状況を示す写真が掲載されています。
平成16年度に聞き取り調査をされて、昭和9年の大水害の時にどれ位まで水位が上がったかを写真で示されてあります。
恐ろしい程の水位となっていることがわかります。
(写真中の青線まで水位が上がったとのこと)


 現在は児島湾干拓の歴史を研究されているそうです。現役を引退された今でもお元気で活躍中です。
 趣味のゴルフは相当の腕前で、とてもお忙しいようです。
 そうした中でもお孫さんたちと温泉旅行をしたり、蟹を食べに行ったりと家族サービスも欠かされないようです。

 年齢を感じさせない若さ、誰からも信頼される方とお見受けし、青年時代のリーダーシップを発揮されて、今後も地域の活性化に大いにがんばって頂きたいものです。


訃報:
2012年2月12日にお亡くなりになりました。
ご冥福をお祈りします。