おじゃまします・・・・   第12弾
<このページでは、原町内にお住まいの方を訪ねて、日頃の生き生きとした活動を紹介します>

  
 有森 茂夫 さん
             
   
  【アニモミュージアムの館長】の巻
 
 
今回は磯尾にお住まいの 有森茂夫さんをお訪ねしました。

 有森茂夫さんは昭和10年2月17日、当町内の片山で誕生され、72年間ずっと原にお住まいです。
 オリンピックマラソンで2大会連続メダル獲得の有森裕子さんのお父様としてあまりにも有名です。
 老舗割烹〈 原源 〉の二男として幼少の頃から家業の手伝いもよくされたようです。
 小学校5年生の時、岡山空襲を目の当たりにし、未明から焼け始めた街々の中、焼け崩れる岡山城、旭川に沿って逃げて来る人々の姿を今でも鮮明に憶えているそうです。新制中学時代は終戦後の物資の少ない生活体験も余儀なくされたようです。

 岡山大学卒業と同時に高校商業科の教員として35年間勤務されました。
またその間にはバレーボールの選手として、国体に出場される等活躍されています。
 定年退職後も非常勤講師として、5年間勤務されたそうです。

 在職中の休日には岡山市子ども会のポートボールの指導をされ、また退職後は10年間余り牧石コミュニティハウスの事務局長として活動されました。
 現在は《子育て教育なんでも相談ネットワーク》の相談員を10年以上続けておられます。
 子育て支援活動として、地域の子どもたちの文化を育てるための場所《ゆうホール》を自宅に作り開放し、展覧会・イベントなど数多くのボランティアの
日々です。

 長女の裕子さんは1990年 《大阪国際女子マラソン》にマラソン初出場日本最高記録を出したのを皮切りに、数々の国内・国際大会で入賞され、特にバルセロナオリンピックで銀メダル、アトランタオリンピックでは銅メダルという快挙を成し遂げられました。
 賞状、メダル、トロフィー、記念品などを展示する資料館をと2003年5月【アニモミュージアム】を開設されました。名称の由来はバルセロナオリンピック出場の際、沿道での声援の中にスペイン語で「ガンバレ」という言葉の「アニモ」という声を聞き、自分のニックネーム「アンモ」と重ね合わせ、多いに励ましとなったそうです。
 館内は裕子さんの数々の功績が陳列され、庭はいつも花々が溢れ、訪れた人々にご夫妻で心温まるご案内をされています。
 とても温厚で、誰からも信頼されているお人柄が伺えます。
 
 これからも、お元気でますますのご活躍ご指導をお願いいたします。

訃報:
2008年10月9日にお亡くなりになりました。
ご冥福をお祈りします。
 
アニモミュージアムの前で