おじゃまします・・・・   第九弾
<このページでは、原町内にお住まいの方を訪ねて、日頃の生き生きとした活動を紹介します>

  須々木 英子 さん
 
     【大水害 体験者】の巻
 

 今回は片山地区にお住まいの 須々木 英子さんをお訪ねしました。

 須々木 英子さんは、大正14年8月20日生まれで、昔の原地区をよく知る〈生き字引き〉のような方です。
 
 数え年10歳の時、学校で国語の授業に〈大水〉の勉強をして帰宅したその日、昭和9年の大水害を体験されました。

 当時の旭川は現在のような立派な橋も堤防もなく、中原地区と結ぶ橋は板橋だったそうです。
渡る途中で川に落ちたり、増水すると橋が流されたりしたようです。

 昭和9年9月21日、現在県道吉井線沿いのガソリンスタンド・デイリーショップの下にある新田川の辺りが決壊し長泉川が氾濫、上流からの大水も加わり片山地区は大洪水にみまわれました。

 二階のある家は家財を運べるだけ運び子どもたちも必死の避難だったようです。一階は障子の桟の上二段を残すだけの水量で、農耕に使っていた家畜の避難もご苦労だったようです。平屋に住んでいる人たちは近くの山へ逃げられたそうです。

 その後、水害の教訓を生かし新築する時はどこの家も地盤を高くされています。

 この地区で、昭和9年の大水害の話ができる方は数少なくなってしまいました。
 
 現在は、毎週土曜日にご自宅の倉庫で近所の方と、季節の新鮮な野菜や花を安価で提供しており、いつも誰にでも気さくに接してくださっています。日曜日は南方で青空市場を開いておられ、あっという間に売り切れになるそうです。

 調理方法なども教えてくれたり、地域のコミュニケーションの場として皆さんに重宝がられています。

 また、毎月23日には町内にあるお地蔵様に集りお祀りをしていますが、その先達として活動されています。

 いつまでもお元気で続けてくださることを願っています。

自宅倉庫で新鮮な野菜を販売中の
須々木 英子さん。

野菜を手に楽しい話は尽きません。