おじゃまします・・・・ 第八弾 <このページでは、原町内にお住まいの方を訪ねて、日頃の生き生きとした活動を紹介します> |
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池上 義忠 さん 【理容一筋半世紀】の巻 |
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今回は磯尾にお住まいの 池上 義忠 さんをお訪ねしました。 池上さんは昭和10年岡山市で誕生、 お父さんの勤務する造船所のある玉野に住んでいました。お父さんが招集され、お母さんの実家の笠井に疎開しました。 戦時中、水島を攻撃するおびただしい飛行機を見、又 グラマン戦闘機の機銃掃射を眼下に見るなど戦争の悲惨さを原体験され、60年余りたった今でも戦争の恐怖体験は鮮明に残っているとの事です。 小学校2年生のときには、戦地にある父に会いたい一心で、無事な帰還を祈り街頭募金をたった一人で立ち上げ、募金箱をどこへ行くにも首から下げ、頑張りました。 このことは新聞にも取り上げられ表彰されました。 長じて、現在の店舗がある原駅前に理容店を開業したのは昭和31年10月のことです。 爾来、理容一筋に研鑽を重ね今年開業50周年の節目を迎えられました。 「これもお客様、皆々様のご愛顧を頂いたお蔭様で、誠にありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。」と池上さんからご丁寧な感謝の言葉を頂きました。 50年といえば正に人生そのもの、その間、池上さんは卓越したその技量と人柄で理容業界の発展・振興のため技術高揚に尽くすとともに人材育成に多大なる貢献をされました。 池上さんは、各界の講師を務められる傍ら、各種コンクールで優勝されるなど赫々たる素晴らしい足跡を残されました。 平成18年にはニューコーム新案特許を取得されるなど日々研鑽に励んでいます。 そうした活動が評価され平成18年4月に、日本理容技学建設会永世会員の登録を受けるなど、わが国の理容業界の重鎮としてますますの活躍が期待されています。 このような素晴らしい方がわが町 「原」 に在住されていることは私たちの誇りです。 いつまでもお元気で頑張って下さい。 今後ますますのご活躍を期待しています。 |
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池上さんの理容50年の歩み
50年間の間にテレビには2回生出演されています。 |
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山陽放送、奥様10時に出演中 この時は丁度浅間山荘事件の日でした。 S47年2月 |
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趣味として、カラオケをたしなまれ、あちこちで美声を披露されているようです。 H17年 山陽町文化ホールにて |