センダン(栴檀)
Bead tree
センダン科
別名:オウチ(樗)
Melia azedarach
園内:西外苑、北土手(鶴舎裏あたり)
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薄紫色のセンダン(栴檀)の花
西外苑(5/27)

センダンの幹
北土手(バスパーキング沿い)(5/27)

広辞苑には【栴檀】について「古く獄門のさらし首の木に使われた」という簡単な説明があります。
その後『平家物語』(岩波文庫版)を読んでいてこの故事に関連する記載を2箇所見つけました。
『平家物語』巻第十、「首渡」
寿永三年二月七日、摂津一の谷で敗れた平家の将兵の頸(首)が都に入った後の記述に
 同十三日、大夫判官仲頼、六条河原に出むかッて頸共うけとる。
 東洞院の大路を北へわたして、獄門の木にかけらるべきよし、蒲冠者範頼・
 九郎判官義経奏聞す。

岩波文庫版の註にはこの”獄門の木”を、「獄舎の門のそばにあった樗(おうち)の木でこの木に斬首された罪人の首を架けてさらした」としている。
<下線>樗は日本でいうセンダンの古名である 1)
巻十一の「大臣被斬(おおいどのきられ)」
元暦ニ年六月二十三日、壇ノ浦で捕えられて後斬首された大臣父子(平宗盛、清宗)の首が都に入った後、
 検非違使ども、三条河原に出で向ッて、これをうけとり、大路をわたして、左の獄門の樗の
 木にぞかけたりける

とより明確です。
漢和辞典の「樗」には獄門や刑殺と結びつける意味は見当たりませんから樗が獄門にあったのは日本
固有の故事と考えらます。
日本においていつから、またなぜ樗がセンダン(栴檀)と言い換えられるようになったのかは改めて考えるべき
ですが、同じ『平家』の「釈尊いまだ栴檀の煙 2)をまぬがれ給はず」(巻十一)というとの遣い
分けからみて、後世に樗が獄門首の晒し台材として定着してくるとともに禁忌表現として「栴檀」と
いう名称に移ったのではないかと思っています。

1/2)かって樗と呼ばれた樹木が現在の栴檀であり、香木である栴檀は双葉より芳しの栴檀は現在白檀と呼ばれます。
『藪ら柑子のぶら柑子』(獄門首の木)より)




この地図は岡山後楽園からお借りしています