操山の古墳探検 Welcome FUJIWARADANCHIKITA Chounaikai Website

【操山の古墳探検】
写真説明を補足するため里山センター提供の資料を抜粋して記しておきます。
古墳を年表別にしてみると
西暦300年       400       500       600        700
       前期        中期       後期       終末期

    ←‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥→
           (前方後円墳時代) 
                        ←‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥→
                             (横穴式石室時代)

このように古墳も次第に大衆化したようです。

操山古墳群ではこれまでに発見調査発掘されているのは。当時の大王の墓とされる大型の【前方後円墳】の「金蔵山古墳」を始め、四角の盛土墓の【方墳】、丸い盛土の【円墳】が幾つか残っているが、その外に128基に及ぶ【横穴式石室】が記録に残っています。特に笠井山の南東斜面には30数基の横穴式石室が纏まってあり、集落形成の貴重な資料として重要視されています。
 このほか日時の経過と共に埋没、流失、大破などの数がどのくらいあるのか地元の人たちにも分からず、これからの課題だろうと思います。

 今回一日で探検確認した17基の古墳のうち主要の6件を次に紹介します。



  


 1. 金蔵山古墳
   操山古墳群の中最大で墳長165mで岡山県第四位の「前方後円墳」1953年発掘調査が
   行われ発掘された出土品は倉敷考古館に展示されている。
   西暦400年頃の岡山平野全体を支配していた首長の墓か?


 2. 旗振台古墳
   一辺約27m、高さ約4mの方墳。岡山市内では「方墳」の所在は珍しく、金蔵山古墳に
   後続する首長の墓か?


 3. 八畳岩古墳
   操山から金蔵山への尾根上にある「円墳」であるが封土は流出している。その為石室は
   露出しており、「操山の石舞台」?と言われている。石室は現在規模で全長8,9m、玄室長
   5,5m.幅1,6m、高さ1,7mで操山古墳群で2番目の規模である。


 4. 二股古墳
    金蔵山の南西山腹上にあり、墳丘は殆ど流出している。全国でも珍しいY字型の
    「横穴式石室」古墳です。現在規模で主室長5,1m、幅1,2m、高さ1,7m 副室長
    4,3m、幅1,3m、高さ1,3mであるが副室がかなり崩壊しており整備の必要がある。
     (次の2枚を含む4枚組みです)
.


 5. 澤田大塚古墳
   石鉄山から北へ張り出す尾根の中腹にあり,径16m,高さ4,7m、の「円墳」であるが。
   横穴式石室は珍しく西に開口し、右袖式である。径16m、石室全長11,4m、玄室長
   5m、幅2,8m,高さ3,2mの操山古墳群で最大の石室で、ムラをまとめた首長クラスの
   古墳と思われる。、


 6. 澤田裏山古墳
   典型的な「横穴式石室」で比較的良好に保存されている。横穴式の特徴として入口が
   極端に低く0,8m、玄室長5,8m、玄幅1,6m、横穴式としては中規模の古墳である。

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