旧三蟠港を知る

投稿日:2022年11月13日

岡山商売往来「吉備の魁」明治16年にある三蟠港の絵図を示す。

現在の京橋から和船で三蟠港へその後汽船に乗り換え四国、神戸・大阪へと物資の輸送をしていた模様である。明治29年の汽船の発着時刻表では四国方面へは毎日午前6時発、神戸大阪方面へは毎日午後10時発、そして毎日午後9時四国方面、午前5時大阪方面より到着と記されている。明治43年の宇野線全通による宇野~高松航路の開設によって三蟠港の使命は終わりを告げるがそれまでの間岡山の海運を担った港であった。只それまでも旭川に堆積する土砂の為港の機能が減じられその維持の為幾多の努力を強いられてきた。往時をしのび感慨ぶかく聴講させて頂いた。

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