江戸時代『ぞう』岡山を歩く

投稿日:2021年10月9日

享保14年(1729)3月13日に長崎を出発した象行列は1か月後の4月12日に岡山河辺に翌13日は岡山栄町、14日に片上に投宿したとあります。江戸到着には2か月と12日を要し5月25日に到着し徳川吉宗に謁見しています。この頃沖新田の人々はこのことを知らされていたでしょうか?その日の生活にも困難をきたしていた人々には知る由も関心もない出来事だったかもしれません。時の将軍吉宗は海外への関心も高く『ぞう』という生き物の存在を知り是非見たいと思ったようです。享保13年6月にベトナムから象2頭が到着、日本の気候風土に適応させていく時点で1頭が死に残った1頭での江戸行となったとあります。岡山を行列が通過時池田藩が行列の世話にあたり多くの興味深いメモが残されています。池田文庫として保存されておりそれを読み解かれ「操南・岡山をもっと知ろう会」(操南公民館講座)で在間亘久氏(岡山県記録資料館前館長)より首題の興味深いお話が聴けました。

江戸到着後13年間浜御殿で過ごした象は中野村の源助お預けとなり寛保2年(1742)12月12日に亡くなっています。推定21歳だったようです。死後皮、牙、骨は寺社へ下賜されたとの事です。皮が膠(にかわ)に加工され香象墨になったとのことです。将軍の威光を知らしめる象行列ではあったでしょうが遠く離れた日本の地で生涯を終えた象の供養はどうなっているのかいささか気になります。

カテゴリー:公民館

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