東日本大震災へ岡山から出動した警察官の体験談!
投稿日:2017年11月10日
平成23年3月11日の発生1週間後から11回にわたり救助活動に従事された楠本徹也氏から現場の生々しい活動をお聞きした。
まず情報取得が無線しかなかったこと、一般の人はラジオのみ。(携帯はつながらない)
ライフライン(電気・ガス・水)が止まった状況下、食事の確保(缶詰・アルファ米・カップラーメン)、トイレ・歯磨きに水・ウエットティッシュが欠かせない。
早春の寒さの中腰まで水に浸かっての捜索活動、夏に向けてはハエの大発生・腐臭に悩まされながら、福島第1原発から20Km圏内の活動にはタイベックスーツ(ポリエチレンファイバー製の簡易防護服)を着用、2時間も作業すると汗まみれ、人の消えた集落を猪・狸・牛・ダチョウまでが我が物顔で徘徊していた。そんな活動の中毎朝通る道沿いで「がんばれ!警察官さん」「復旧作業お疲れさん」と書かれた看板を掲げる2人の少女との交流が今も続いている。
最後に地元の警察官の手記を紹介します。「巨大地震は5分間も続いた。震度7・大津波襲来の情報を無線が知らせる。家族は大丈夫だろうか?家族の許へ駆け付けたいとの思いが募るが自分は警察官。人命救助活動が最優先。救助活動にあたる人々がどうか私の家族を助けてやって欲しい・・・」。私にも4人の子供がいる。南海トラフ地震はいつ起きても不思議ではない。今この瞬間にも地震発生の際どうするか各自備えなければならない。