講演会『伊能忠敬が測量で歩いた!瀬戸内市の尻海・虫明・牛窓』
2022/06/06
カテゴリー: 西大寺文化資料館
瀬戸内市立図書館友の会 せとうち・もみわフレンズ主催 瀬戸内市民図書館共催の講演会
『伊能忠敬が測量で歩いた!瀬戸内市の尻海・虫明・牛窓』が実施され、盛況裡に終了しました。
ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。
当日、質問がありました『沖新田東西之図』の『番』と『蟠』について、次の通り補足説明させていただきます。
『蟠』の字の由来は諸説ありますが、明治以降に使用された。
『伊能忠敬測量日誌』『沖新田東西之図』が作製された江戸時代の当時は、『番』が使用されていた。
ということです。詳細は、下記をご参照ください。
岡山市東区九蟠の『蟠』の字の由来 質問内容:岡山市東区九蟠や旧・三蟠村にはなぜ『蟠』の字を使っているのか。 『九蟠村史』、『三蟠村誌』、を見ると、江戸時代の沖新田干拓から当初は沖新田九番や沖新田三番となっていたこと、明治6年(1873)に沖新田九番は九蟠村に、明治22年(1889)に江崎・江波・藤崎の3村合併により三蟠村が成立したことは分かるが、「蟠」の字を使った理由などは出ていない。 『わたしたちのふるさと九蟠』には、『虫へんの『蟠』を使っている由来は、曹源寺(池田家の菩提寺)の裏山から干拓の状況を見たとき、各工区の作業小屋のカンテラに虫がとまっているように見えたので番に虫をつけたという言い伝えもあります。蟠という字は現在一般には使われていませんが、辞書(広辞苑)には『広大な土地を意味する』とあることから広大な干拓工事の地名に使われたのだろうなどの説もあります。』とある。 また、『上道郡沖新田』には、『なお、三蟠(九蟠)の「蟠」は、明治に入って地名表示の上で『番』では支障をきたすことから『わだかまる』の意味を持つこの字が当てられた。三番・九番が幕末以降、港を中心とした対外的な拠点として展開する中で、『バン』の音を残したものだろう。』という説も紹介している。 回答館・回答団体 岡山県立図書館 |
講演内容の詳細は、順次HPに掲載予定です。
関連情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非ご提供をお願いします。
連絡先:090-7372-0903 西大寺愛郷会 または西大寺文化資料館HPのお問い合わせはこちらへ
《講演会の概要》
講師:西大寺愛郷会 藤井 英幸氏
日時:2022年5月28日(土) 13:30~15:00
場所:瀬戸内市民図書館 つどいのへや
1.西大寺愛郷会について
2.伊能忠敬のおいたち
3.伊能忠敬の虫明・尻海・牛窓の足跡をたどる
4.伊能忠敬が影響を与えた岡山の人物