第 5回今村地区の上水道施設への苦難の道

 

左の2枚の写真は戦国時代に作られた井戸の枠が今も残っていたものである。
中仙道中村は、井戸を掘っても飲料水となる良質の水は極めて少なく説明にあるように共同で使用していたのである。 その訳は今村地区はかつては海であったために良質の地下水は出なかったのである。そのため飲料水の多くはほとんど川水に頼っていたのです。
昭和の初期になっても変わらず,岡山市が発展してくるに連れて川水は混濁した悪水となり下記の図のように浄水装置を設けて,水に濁りがあるときはさらし粉を入れてにごりをとり、塩素の発生で殺菌も行ってきたが,殺菌が十分でなかったり,用水の水で洗い物をしたり洗濯をしたりしていたので,伝染病が多発するようになったのです。
 
下記の状態から危機感を抱いた村長をはじめ住民たちは、上水道施設への決心をした。
しかし、膨大な工事費の負担と国への起債許可稟請の困難との長い戦いがあった。一時は村機能完全停止の状態まで追い詰められたが、周囲からの調停斡旋もあり、村民の重い負担に対する理解もあって反対する村民との間に妥協が成立した。
昭和六年四月十五日工事に着工し、昭和七年十二月二十六日に通水式を挙行した。私たちは先人の努力に感謝しなければならない。

旧御津郡今村の井戸調査結果 (現在の西学区と周辺地域)

 (調査1)昭和4年10月31日の井戸の調査
区分 戸数
 飲用に適する井戸を有するもの 4戸
 飲用に適さない井戸 328戸
 河川水をろ過して使用するもの 104戸
 その他(貰い水等) 58戸

 

 (調査2) 大正2年~昭和4年までに発生した伝染病と死者
病名 患者数(名) 死亡者
 腸チフス 19 合計16名
 疫痢
 赤痢 11
 2014年2月1日 文責―中桐
平成26年2月2日更新
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