第 4回日本の戦争の歴史と今村との関係

 
 1945年(昭和20年)までの約40年間に4つもの大きな戦争を引き起こしてきた。当然今村(旧御津郡今村(現在の西学区及び周辺地域))も関りが・・・・。

1941年12月8日は日本の悲しむべき悲劇の始まった太平洋戦争の開始日だ。日本は1904年(明治37年から)日露・満州・日中・太平洋戦争の終るまで、たくさんの人たちが出征し戦死をした。そのためにその武勇をたたえて忠魂碑を二つ建てた。
1つは日露戦争の時今村宮に,もう1つは昭和13年から始まった日中戦争の戦死者が出た1939年(昭和14年)に今村小学校(現在の西小学校)に建て,戦死の訃報が入るたびに公葬をし,遺骨を抱いた遺族とともに忠魂碑の前で歯を食いしばって泣いた。
1945年(昭和20年)敗戦を迎えて戦争の象徴である忠魂碑は、2つとも小学校の校庭に
年)学校以外の地であれば忠魂碑の建築が許されたので,小学校に埋めた2つの忠魂碑を掘り起こして現在の地へ再建された。

旧御津郡今村の戦没者 (現在の西学区と周辺地域)
・日露戦争 3名            1904年~1905年
・満州事変・満州国守備勤務 2名    1931年~36年
・太平洋戦争  92名(日中戦争を含む)1937年~1941年

(戦没者の石碑) (同石碑の碑文)
上の写真は、満州国の匪賊戦で戦死した小野田威夫陸軍歩兵伍長の碑です。 (上記の碑文)
昭和八年九月四日満州国新京外
四間房封匪戦ニ於テ戦死す
関東軍参謀部満州国警察総監游
動警察隊在京各團体依 志建之
陸軍歩兵伍長
満州国警長 小野田威夫之碑
2013年12月25日 文責―中桐
平成25年12月25日更新
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