迷ったら安全サイド!
投稿日:2023年4月28日
湾岸戦争が起きたのが1990年(平成2年)
日本からは多額の金額で援助したが、一兵たりとも海外派兵しなかった、平和憲法をしっかり守った(?)
湾岸戦争の戦場付近は日本のオイル安定供給ロードとして多くの国に世話になっているにも関わらず、人的貢献なし、金だけ出してよろしくだった!
この戦争が終った後、ニューヨークタイムズの表紙にに「湾岸戦争で活躍した元首達」という写真が掲載された
アメリカ大統領はじめ各国の元首が誇らしげに笑っている、しかし日本の海部首相の写真は表紙を飾れなかった
日本は九十億ドル(一兆千七百億円、日本人一人一万円)を支援したが、世界は認めてくれなかった
エコノミックアニマルと揶揄され、国家の誇りと品格を失った
湾岸戦争が終わり戦後処理が始まった
ペルシャ湾にはたくさんの機雷がばら蒔かれている
それら機雷を一つひとつ処理するのが機雷掃海といい、伝統的に日本の技術、海自のスキルは世界でも群を抜いている
当然、日本頼みの要請が友好国から寄せられる
海外派兵だ、海自を出すなと野党が騒ぎ、国会が混乱する、覚えていますか?時間切れを狙った野党の牛歩戦術!日本を世界が注視していた!
そんな中で海自掃海部隊のペルシャ湾派遣が決定した、指揮官は落合たおさ、父親はあの沖縄戦での防戦指揮官だった
世界でも最も掃海しずらい機雷との戦いは世界の海軍、掃海の専門家の注目の的、そんなプレッシャーのなかで作業は始まった
落合指揮官と現場指揮官との絶対的約束事、それは
「迷ったら、安全サイド」だった!
初めて見る、触る、掃海する、高性能の機雷との戦い
ひとつ間違えると数人の仲間が海中で木っ端微塵に切り刻まれる命懸けの作業の連続
船上で見守る仲間も全員がライフジャケットを着て甲板上だ、一発不時爆発すると掃海挺ごとブッ飛ぶ❗
夏は甲板が焼け40度を越える地獄、でも海中の仲間を思うと耐えられる
半年近い悪戦苦闘、全ての機雷を掃海した、世界の海軍がエールを贈った‼️
そして半年後、再びニューヨークタイムズの表紙
「湾岸戦争その後に活躍した元首」に我が日本国の総理大臣・海部俊樹のはにかんだ笑顔が載った
「迷ったら安全サイド」のキャチフレーズは今でも海自で活きている
これからも、平時には活き続けるだろう?
記 北公民館ジェントルマン喫茶常連客 福森芳郎
カテゴリー:おん野の滴