事故”と「事件」

投稿日:2025年3月18日

人間の注意力の限界を越えた時”事故”は起きる…不可抗力の範囲内の”過ち”…人間としてやるべき事をしないで現場を立ち去れば「事件」という縛りに拘束される…
ある霧雨の夜の田舎道…自転車と車の接触事故が発生した…たまたま通りがかった高齢者のあなたはそれを目撃した…轢いた車は一旦は停まったが…急に現場から立ち去った…轢かれた若者は路上で動かない…目撃者はあなただけ… あなたならどうしますか? 110番か! 119番か!多分…高齢者の私なら…まず倒れている若者を引きずって安全な路肩へ…若者の命に関わるのでまず119番へTEL…”火事”ですか?”救急”ですか?の問いかけに”救急”と返答…現場の位置と若者の様子を伝え…「轢いた車は逃走したので110番へ連絡してくれ」とお願いする…当時、自転車ヘルメットなどなかった…被害者の頭から大量の生き血が…
“事故”と”事件”が同時に発生‼️アルバイト帰りの14歳の兄はこれで死んだ…その時あなた役の人はいなかった…発見されたのは数時間後だったそうだ…未だに迷宮入り事件であり、事故補償もなく…家族は悲しみに暮れた三年後…やっと不運と諦めがつき毎晩の家族の御看経(おかんき)は月命日の墓参りに代わった…
“事件”と”事故”の二重のニュースに出会う度に…高齢の今でも複雑な心境になる…ヘルメットは兄貴の分も合わせ二つ持っている…転んでも頭を支えるだけの足腰をジムで鍛えてもいる…泉下の兄の名前は「三十四(みとし)」一昨日の満月が誕生日だった…遺影の童顔が笑っている…六つ下の自転車好きな傘寿の弟への遺言…そして黄泉の大空から永年見守ってくれた兄へのレクイエム(鎮魂歌)「転ばぬ先の筋トレ…転んだ後のヘルメット」 😢 と 😀

記 北公民館講座ジェントルマン生きがい喫茶常連客 福森 芳郎

カテゴリー:おん野の滴

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