雪の八甲田”と「指揮官」
投稿日:2025年2月17日
大雪の恐さが全国的に波紋を広げています…雪といえば何度か訪れたあの八甲田山を思い出します…
新田次郎(著)”八甲田山 死の彷徨”高倉 健 主演の映画「八甲田山」”船頭多くして 大舟 雪に沈む”
弘前31連隊 Vs 青森5連隊 徳島大尉 Vs 神田大尉 高倉 健 Vs 北大路欣也
・雪の恐さを知る弘前連隊・雪を余り知らない青森連隊 (八戸や宮城出身者が多く豪雪の経験が少ない)
・10泊予定、27名精鋭部隊、240キロ行軍の弘前連隊・3泊210名の大部隊20数キロ、温泉泊予定の青森連隊
・指揮官は士官学校卒の強者(つわもの)率いる弘前連隊・指揮官は兵卒叩き上げの苦労人…しかも大隊長が同行の青
森連隊別々のコースをたどり八甲田山ですれ違う連隊対決モードの行動計画になった…
・案内人をたて、雪中行軍に慣れれてから八甲田 に突入、準備万端の弘前連隊
・案内人なし、いきなり暴風雪の八甲田山に挑んだ準備不足の青森連隊
・指揮官の思い通りの弘前連隊・二人の指揮官(中隊長と大隊長)でもめた青森連隊
・ほぼ全員が生還した弘前連隊・ほぼ全員が遭難した青森連隊の最大の失敗は二人の指揮官の情勢判断の相違で指揮統率を誤り大惨事となった…”二人の優れた指揮官より…例え並みでも一人の指揮官の方が勝つ”の原則を幾多の命の代償として学んだ歴史ドラマであった…
雪中行軍体験という目的とライバル連隊に勝つという目的…二つの目的を同時にアタック…”二兎を追えば 一兎も得ず”5連隊神田大尉は八甲田で「天は我らを見放した」を残し戦死、山田大隊長は後日に自決…高倉大尉は後の日露戦争、雪の満州で戦死…雪中行軍生き残りには口止め……軍はこの真相を隠し組織を守った…活きた教訓は真っ白い闇に消えた この教訓はその後の日本…パールハーバー奇襲(海軍省と南雲)、ミッドウエー海戦(大本営と山本五十六)等に生かされず…敗戦を迎えたが”終戦”という呼び名になって全て忘れられた…「教訓は生かされない」…日本に根づく精神風土は…情ないかな…今も日本に根づよく残っている‼️このエッセイを豪雪の青森におられる「江田島同期」の柏谷豊君に捧げます…
記 北公民館講座ジェントルマン生きがい喫茶常連客 福森 芳郎
カテゴリー:おん野の滴