真夏の…無念の甲子園
投稿日:2024年8月11日
先々週のサンデーエッセイは、
パリオリンピック柔道金メダリストの古武士”永瀬貴規”さんでした!
そしてもう一人…32年前にそう思わせてくれた”若き古武士”の甲子園の”無念”… 松井秀喜の振る舞いを忘れられません
1992年(平成4年)夏の甲子園、世間を騒がす一大事が起きた‼️
星稜 対 明徳義塾 の試合
星稜の4番バッター松井秀喜は5打席連続敬遠され、試合は2対3 で惜敗、彼は甲子園を去った
「勝つ為なら何をしてもいいのか…!」「勝ってなんぼのもんじゃろうが…!」スタジアムに”卑怯もの”と罵倒と怒号、グランドに半壊したメガホンが跳び跳ねた‼️
5打席、20球、敬遠ボールをしっかり見極め、バットを静かにホームベースのかたわらに置き、敵ピッチャーをにらむこともなく、一塁へ走り出す若き武将の姿をスタンド全員がまなこに刻み付けた!
そしてその日の夕刊の記事…
「あなたはスケールが違う、どんと受け止めて いつかやがて
まるでその日の不運が 最大の幸福であったかのように 変えてしまうだろう…
バッターボックスの中で 微動さえしなかったあなたの態度を称える 一振さえできないまま 一塁ベースに立ち 瞑想している男を惚れ惚れと見る
あなたの夏は今 無念の夏かもしれないが 流れの中で自分を身失わない 堂々の人間を証明してみせた…」
この一片の記事を書いた人は、酷暑の甲子園で若者が流す汗と涙とやるせなさを球場最前席で観ていた、あの”阿久悠(作詞家)”さんでした…
あれから32年…私はその頃48歳…あなたは何処で、何をしていましたか…?
そして松井秀喜は野球人の最終章でヤンキースに復帰…栄誉ある”ニューヨーク名誉市民”に選ばれた…日本人たる由縁を世界の中心から発信してくれました
信じれる人や出来事が数少なくなった現世で、この夏の甲子園での青春ドラマに何かを期待したいのは私だけではないでしょう…
記 北公民館ジェントルマン喫茶常連客 福森芳郎
カテゴリー:おん野の滴