簡易水道ものがたり

投稿日:2023年8月20日

子どもの頃、我が集落には水道はなかった

小学三年生まで風呂の水運びは俺の仕事だった

井戸から風呂場まで30米

両手にバケツの10往復、いつも遊びの真っ最中に呼びにくる、嫌でいやでしょうがなかったお風呂ロード

四年生になって簡易水道が完成した

朝の二時間、昼の二時間そして夕方の三時間、蛇口を回すと弱々しいながら水道水が出た、まさに文明開化だった!

我が親父は田舎の鍛冶屋、水道工事も請け負っていた関係で山ノ上の貯水槽の開け締めも我が家が受け持つことになった

朝は親父が、昼は母親が、そして夕方のオープンと夜9時のクローズは俺の担当になった水ロード!

夕方6時頃の片道15分のトレイルラン、夜9時頃の山登りクローズランは子供にはきつい仕事だった!

雨の日も風の日も、台風でも休めない、水は生活を支える大事なライフライン、命の水だ!

大晦日、紅白歌合戦でひいきの三橋美智也の歌がラジオから流れ始めたが、それを背中で聞きながら山に登った リンゴ村からのリズムは今でも体に染み込んでいる、家に帰ると紅白は美空ひばりが歌っていた?

確か高校受験の前に自動化され、このミッションから解放された

世のため人の為、水のため、役立つ志はこの頃の汗と涙に染み込んでいるいたのかも知れない

八十を前に久々にあの山頂のタンク跡に登ってみたが夏草ぼうぼう、思い出の跡形もなかった

夏草や 

  つわものどもの

         水の跡

つわもの一員であったことをささやかな誇りにしながら

最後まで、自分で出来ることを、自分流でしつつ生き抜こうかな! 

記 北公民館ジェントルマン喫茶常連客 福森芳郎

カテゴリー:おん野の滴

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