あの敬遠
投稿日:2023年8月13日
ま夏の熱闘甲子園が続いている
「あなたはスケールが違う
どんと受けとめて いつかやがて まるで その日の不運が 最大の幸運であったかのように変えてしまうだろう
バッターボックスの中で
微動さえしなかったあなたの態度を 称える
一振りも出来ないまま 一塁ベースに立ちながら 瞑想している男を 惚れ惚れと見る あなたの夏は
いま無念の夏かもしれないが、流れの中で自分を見失あわない 堂々の人間を証明してみせた! 」
平成4年の夏、甲子園
星稜高校 対 明徳義塾
この一戦を観戦していた
作詞家 阿久 悠 のメッセージだった
その彼は、5打席連続敬遠、一度もバットを振らないで 甲子園を去った男 松井秀喜だ!
阿久 悠の記事を翌朝の新聞で読んだ松井の述懐話
「あの試合で 負けた悔しい気持ちが整理できない中で こうゆう風に見てくださる方がおられることを
嬉しかったです!
このメッセージからエネルギーを貰ったし こんな選手にならなければならないと感じたことを 今でも覚えています」
野球を通じて人としての生き方を追及した男 松井秀喜の生きざまは 日本人のみならず アメリカ人 とりわけうるさいニューヨーク市民まで動かした
野球では最後に属したチーム名で呼ばれる
元巨人軍の長島など
松井秀喜は6年間ニューヨークヤンキース、退団後に
エンゼルス~アスレチックス~レイズと渡り歩き約10年間のアメリカ大リーガーに幕を下ろそうとした
元レイズ 松井秀喜として
しかしニューヨーク市民はそれを許さなかった
大リーガー最後の日にヤンキーに移籍させることを球団に約束させた
ヤンキース選手も歓迎した
元ニューヨークヤンキース
松井秀喜の名は世界に遺った
彼の野球に対する日本人としての立振る舞いや心構え、心意気が国境を越えたのだ
あの敬遠の中に松井秀喜の真骨頂は生きていたのである
あぁ 銘すべき!
命すべき!?
昼、高校野球を観ながら
啜る 素麺の旨さかな?
記 北公民館ジェントルマン喫茶常連客 福森芳郎
カテゴリー:おん野の滴