笛(ホイッスル)
投稿日:2023年2月5日
笛について三つの思い出話をします
笛にもいろんありますが、俗に言うホイッスルのお話です
第一話は、先生の笛です
中学一年生の運動会で恒例の組体操・ピラミッドを展示しました
僕は学年で三番目に小柄な生徒でしたが、身体は筋肉質で頑丈な体つきでした
従って当然の如く僕がピラミッドの五段目の頂上のポジションに登るはめに!
白いトレパン姿の先生の笛の元で放課後三週間ばかり特訓があり、何度も失敗、地面に墜落しました
運動会当日初めて成功し僕は生き残りました、あの時の先生のピリッとした笛の
響きは今でも記憶に残っています
そして僕はパイロットになりました
第二話はレフリーの笛です
海自のパイロットコースに入り、必須体育課目でラグビーを選択しました
それ以来、70歳までラグビーを楽しんできました、
当時のラグビーのレフリーでは主審が判定の絶対者でした、下した判定は覆りませんでした!
今のように、タッチヂャッジサポートやビデオ判定は皆無です、よく監督に言われました レフリーが迷うような間違うようなプレーをしたお前が悪いのだと!
泣いたのは、ノーサイドの笛を間違えてレフリーが五分前に吹いた試合でした
二点差のゲーム、逆転目指して猛攻中のまさかの笛!
江田島の五分前の精神を涙と共に身につけました
最後はタイタニックです
あの映画の最後のシーン覚えていますか?
救命ボート争奪をめぐる醜い修羅場、最後まで楽器を演奏した勇気あるアスリート達、ボートの席を若者に譲り自室で抱き合いながら最後を迎える老夫婦、絶対絶命の土壇場での人間の気高さと醜さ・・・
主人公の女性の命が尽きる寸前、目に入った死んでいる乗組員の首にかかっていた笛、零下の海に飛び込み、筏の上で震えながら吹き続けた命の笛、やがて駆けつけた救命ボートに届き一命をとりとめたシーンを忘れません
防災リックに取り付けてあるあの笛です
阪神淡路大震災の時、家の下敷きになり被災、冷たくなった父親の防災リックにくっついていた呼子の笛、瓦礫の下で何時間も父の形見の笛を吹き続けた少女、絶命の72時間の寸前、自衛隊により救助された
我が家の枕元にもその笛が待機してくれている
災害は 寝ている間も
やって来る
笛吹けば 神に伝わり
我生きる
カテゴリー:おん野の滴